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風立ちぬ

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風立ちぬ
起風了/不會停歇的風

(日漢雙語對照)

堀辰雄/著
  孟瑾/譯



Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
PAUL VALLEY


縱有疾風起,人生不言棄。
                    ——保羅·瓦勒裡


それで和訳すると、「風が起きた、生きることを試みねばならない」の意味となる。要するに、吹いた風を契機に、著者の「生きるぞ!」との決意を現わしているのである。

 ところで、堀辰雄はここの部分を、「いざ、生きめやも」と訳している。「生きめやも」は「生き+む(推量の助動詞)+やも(助詞『や』と詠嘆の『も』で反語を表す)であり、現代語になおすと「生きるのかなあ。いや、生きないよなあ」となる。ダイレクトに訳してしまえば、「死んでもいいよなあ」であり、つまりは生きることへの諦めの表現である。
 「生きめやも」を逆にフランス語に訳せば、Vous ne devez pas tenter de vivre.…ではあんまりだから、やんわりとVous n'avez pas à tenter de vivre.くらいになるだろうけど、いずれにせよ、己の生への強い意志を詠じた原詩とはまったく反対の意味になってしまう。

 それゆえ、堀辰雄の「いざ生きめやも」は誤訳の典型として知られてきており、例えば大野晋、丸谷才一の両碩学による対談で「風立ちぬ」が取りあげられたとき、両者により、堀辰雄は東大国文科卒のわりには古文の教養がないと、けちょんけちょんにけなされている。

 ただ、誤訳といえば、誤訳ではあろうけど、私は小説「風立ちぬ」では、「生きめやも」でもいいと思う。

http://promontory.cocolog-nifty.com/promontory/2013/08/post-12cd.html



序曲

それらの夏の日々、一面に薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていたものだった。そうして夕方になって、お前が仕事をすませて私のそばに来ると、それからしばらく私達は肩に手をかけ合ったまま、遥か彼方の、縁だけ茜色を帯びた入道雲のむくむくした塊りに覆われている地平線の方を眺めやっていたものだった。ようやく暮れようとしかけているその地平線から、反対に何物かが生れて来つつあるかのように……
 
  在那些夏日裡,在彌望著茂密芒草的草原中,當你站在那裡專心致志地作畫的時候,我總是躺在旁邊一株白樺的樹蔭下。而到了傍晚,你結束了工作,來到我身邊。然後,我們就互相摟著肩膀,一動不動地眺望著遠方那被密密匝匝、只有邊緣帶著暗紅色的積雨雲團覆蓋著的地平線。似乎從那終於走向黃昏的地平線上,反而有什麼正悄然誕生......

そんな日の或る午後、(それはもう秋近い日だった)私達はお前の描きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木蔭に寝そべって果物を齧じっていた。砂のような雲が空をさらさらと流れていた。そのとき不意に、何処からともなく風が立った。私達の頭の上では、木の葉の間からちらっと覗いている藍色が伸びたり縮んだりした。それと殆んど同時に、草むらの中に何かがばったりと倒れる物音を私達は耳にした。それは私達がそこに置きっぱなしにしてあった絵が、画架と共に、倒れた音らしかった。すぐ立ち上って行こうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。

   就在那些日子裡的一個下午(那時已經接近秋天),我們把你尚未畫完的畫立在畫架上,側臥在那株白樺的樹蔭下吃著水果。如沙的碎雲從天空輕輕飄過,這時,起風了,出人意料,不知所從。在我們頭上,樹葉間偶爾可見的藍色時展時縮。幾乎與之同時,我們聽到了草叢中有什麼東西“啪”地倒下的聲音。那聲音,像極了我們放在那裡的畫隨著畫架一起倒下的聲音。你想馬上轉身過去,但我硬是拉住你,就像不想失去眼前轉瞬即逝的什麼東西似的,不讓你從我身邊離開,你順從了我。

風立ちぬ、いざ生きめやも。
   “縱有疾風起,人生不言棄。”

 ふと口を衝いて出て来たそんな詩句を、私は私に靠れているお前の肩に手をかけながら、口の裡で繰り返していた。それからやっとお前は私を振りほどいて立ち上って行った。まだよく乾いてはいなかったカンバスは、その間に、一めんに草の葉をこびつかせてしまっていた。それを再び画架に立て直し、パレット・ナイフでそんな草の葉を除りにくそうにしながら、「まあ! こんなところを、もしお父様にでも見つかったら……」お前は私の方をふり向いて、なんだか曖昧な微笑をした。

   我把手搭在你緊靠我的肩上,嘴裡重複著這脫口而出的詩句。而後,你終於掙開我,站起來,走了。還沒有完全凝固的油彩,在這會兒已經沾滿了草葉。你把它重新立在畫架上,一邊用版刀費力地除去草葉,一邊驀然回頭對我莫名其妙地微微笑著,說道:“啊!要是讓你父親看到咱倆在一起,他會怎樣呢?”

   「もう二三日したらお父様がいらっしゃるわ」
    “再過兩天,父親就該回來了!”

或る朝のこと、私達が森の中をさまよっているとき、突然お前がそう言い出した。私はなんだか不満そうに黙っていた。するとお前は、そういう私の方を見ながら、すこし嗄れたような声で再び口をきいた。

 一天早晨,我們正在森林裡漫無目的地散步,你突然說出這句話。我沉默著,似乎有點不高興。於是,你一邊看著我,一邊用略帶嘶啞的聲音開口說道:
  
 「そうしたらもう、こんな散歩も出来なくなるわね」
“那樣的話,就不能再這樣散步了。”
   「どんな散歩だって、しようと思えば出来るさ」
“散散步還不至於被限制吧?”
私はまだ不満らしく、お前のいくぶん気づかわしそうな視線を自分の上に感じながら、しかしそれよりももっと、私達の頭上の梢が何んとはなしにざわめいているのに気を奪られているような様子をしていた。

我還是有點生氣,雖然在我身上感到了你帶著幾分關心的視線,但是相比之下,我似乎更在意頭上樹梢發出的娑娑聲響。

「お父様がなかなか私を離して下さらないわ」
“父親非常不願意看到我們在一起。否則,他就讓我離開他。”

私はとうとう焦れったいとでも云うような目つきで、お前の方を見返した。
我終於用近乎焦躁的眼神回頭看著你。

「じゃあ、僕達はもうこれでお別れだと云うのかい?」
“那麼說,我們要就此分手了嗎?”
「だって仕方がないじゃないの」
“可是……沒有辦法啊。”

そう言ってお前はいかにも諦め切ったように、私につとめて微笑んで見せようとした。ああ、そのときのお前の顔色の、そしてその脣の色までも、何んと蒼ざめていたことったら!

這樣說著,你努力地微笑著,試圖證明你真的主意已定。啊!那時你面龐的顏色、甚至你嘴唇的顏色,都是那麼的蒼白!

「どうしてこんなに変っちゃったんだろうなあ。あんなに私に何もかも任せ切っていたように見えたのに……」 
“怎麼會變成這樣呢,看上去已經把一切都託付給我,可……”

と私は考えあぐねたような恰好で、だんだん裸根のごろごろし出して来た狭い山径を、お前をすこし先きにやりながら、いかにも歩きにくそうに歩いて行った。そこいらはもうだいぶ木立が深いと見え、空気はひえびえとしていた。ところどころに小さな沢が食いこんだりしていた。突然、私の頭の中にこんな考えが閃いた。お前はこの夏、偶然出逢った私のような者にもあんなに従順だったように、いや、もっともっと、お前の父や、それからまたそういう父をも数に入れたお前のすべてを絶えず支配しているものに、素直に身を任せ切っているのではないだろうか?……

在裸根橫七豎八越來越多的狹窄山路上,我讓你走在前面不遠的地方,以苦苦思索的姿態,極其艱難地走著。那一帶看上去樹叢很深,空氣冷颼颼的,到處都有沼澤侵淩。突然,我頭腦裡閃出這樣一個念頭,你在今年夏天才偶然遇到我,你對我這樣的人都那麼順從,那麼對你父親以及包括父親在內、不斷支配著你的所有人,該不會都像這樣,不,該是更多、更多地,老老實實地把自己完全交付出去的吧?

「節子! そういうお前であるのなら、私はお前がもっともっと好きになるだろう。私がもっとしっかりと生活の見透しがつくようになったら、どうしたってお前を貰いに行くから、それまではお父さんの許に今のままのお前でいるがいい……」

“節子!如果你就是這樣的姑娘,我會更加更加喜歡你的。等我對生活有了更可靠的把握,無論如何都會娶你的。所以,你只管一直在父親身邊,就像現在這樣……”

そんなことを私は自分自身にだけ言い聞かせながら、しかしお前の同意を求めでもするかのように、いきなりお前の手をとった。お前はその手を私にとられるがままにさせていた。それから私達はそうして手を組んだまま、一つの沢の前に立ち止まりながら、押し黙って、私達の足許に深く食いこんでいる小さな沢のずっと底の、下生の羊歯などの上まで、日の光が数知れず枝をさしかわしている低い灌木の隙間をようやくのことで潜り抜けながら、斑らに落ちていて、そんな木洩れ日がそこまで届くうちに殆んどあるかないか位になっている微風にちらちらと揺れ動いているのを、何か切ないような気持で見つめていた。

我一邊對自己暗自說著這些話,卻一邊想徵求你的同意似的突然抓起你的手。你任由我那樣抓住你的手,然後,我們就這樣手牽著手,在一片沼澤前止步佇立,一言不發,用一種說不出的心情注視著。陽光費力地穿過無數枝條交錯的低矮灌木的縫隙,稀稀落落地灑在我們腳下深浸著的小沼澤最底部,灑在樹根下生長著的羊齒草之類的雜草上面。那團穿過樹隙投到那裡的光影,被似有似無的微風娑娑地搖動著。

それから二三日した或る夕方、私は食堂で、お前がお前を迎えに来た父と食事を共にしているのを見出した。お前は私の方にぎごちなさそうに背中を向けていた。父の側にいることがお前に殆んど無意識的に取らせているにちがいない様子や動作は、私にはお前をついぞ見かけたこともないような若い娘のように感じさせた。

此後兩三天的一個傍晚,我在餐廳裡看到你和來接你的父親一起就餐。你無情地用後背對著我。一定是因為你在父親身邊,使你幾乎無意識地做出這樣的姿態和動作,讓我感到了從未見過的、像小女孩兒一樣的你。

その晩、私は一人でつまらなそうに出かけて行った散歩からかえって来てからも、しばらくホテルの人けのない庭の中をぶらぶらしていた。山百合が匂っていた。私はホテルの窓がまだ二つ三つあかりを洩らしているのをぼんやりと見つめていた。そのうちすこし霧がかかって来たようだった。それを恐れでもするかのように、窓のあかりは一つびとつ消えて行った。そしてとうとうホテル中がすっかり真っ暗になったかと思うと、軽いきしりがして、ゆるやかに一つの窓が開いた。そして薔薇色の寝衣らしいものを着た、一人の若い娘が、窓の縁にじっと凭りかかり出した。それはお前だった。……

那天晚上,我一個人百無聊賴地出去散步,回來後又信步徘徊在無人的旅館院子裡。野百合散發著香氣,我漠然地凝望著旅館還發出燈光的兩三個窗口。不知不覺間,好像起霧了。視窗的燈光似乎對霧有著恐懼,一個接一個地熄滅了。而在我以為整個旅館將一片漆黑的時候,輕輕的一聲窗框響,一扇窗戶緩緩地打開了。一位身穿著薔薇色睡衣的年輕姑娘,緊緊地抓著窗框探出身來,那就是你……

私は終日、ホテルに閉じ籠っていた。そうして長い間お前のために打棄って置いた自分の仕事に取りかかり出した。私は自分にも思いがけない位、静かにその仕事に没頭することが出来た。そのうちにすべてが他の季節に移って行った。そしていよいよ私も出発しようとする前日、私はひさしぶりでホテルから散歩に出かけて行った。

我終日悶在旅館裡,開始處理自己長期以來為你而中斷的工作。我自己都想不到,我竟能平靜地埋頭於工作。不知不覺間,一切轉入另一個季節。於是,終於要出發的前一天,我走出旅館去做久違的散步。

秋は林の中を見ちがえるばかりに乱雑にしていた。葉のだいぶ少くなった木々は、その間から、人けの絶えた別荘のテラスをずっと前方にのり出させていた。菌類の湿っぽい匂いが落葉の匂いに入りまじっていた。そういう思いがけない位の季節の推移が、――お前と別れてから私の知らぬ間にこんなにも立ってしまった時間というものが、私には異様に感じられた。私の心の裡の何処かしらに、お前から引き離されているのはただ一時的だと云った確信のようなものがあって、そのためこうした時間の推移までが、私には今までとは全然異った意味を持つようになり出したのであろうか? ……そんなようなことを、私はすぐあとではっきりと確かめるまで、何やらぼんやりと感じ出していた。

秋天使森林的一切雜亂不堪,幾乎讓人感到陌生。葉子稀疏的樹木,讓遠方不見人影的別墅陽臺從樹木叢中探將出來。菌類濕乎乎的味道和落葉的氣味混雜在一起。這種意想不到的季節變換——和你分手後不知不覺之間如此逝去的時間,令我感到詫異。在我心中的某個地方,有一種堅定的信念,那就是離開你只是一時的。所以,是否因此而使得這樣的時間推移,也變得具備了對我而言與以往迥異的意義呢?……這些事情,直到我事後清楚地確認之前,一直令我感到一種莫名的恍惚。

私はそれから十数分後、一つの林の尽きたところ、そこから急に打ちひらけて、遠い地平線までも一帯に眺められる、一面に薄の生い茂った草原の中に、足を踏み入れていた。そして私はその傍らの、既に葉の黄いろくなりかけた一本の白樺の木蔭に身を横たえた。其処は、その夏の日々、お前が絵を描いているのを眺めながら、私がいつも今のように身を横たえていたところだった。あの時には殆んどいつも入道雲に遮られていた地平線のあたりには、今は、何処か知らない、遠くの山脈までが、真っ白な穂先をなびかせた薄の上を分けながら、その輪郭を一つ一つくっきりと見せていた。

十幾分鐘後,我走出一片樹林的盡頭。從那裡便突然開闊起來,遠遠的地平線遙望如帶。草原上生長著一片茂密、彌望的芒草,我步入其中,在旁邊一株白樺樹蔭下躺著。白樺的葉子已經開始變黃,那就是在那個夏天的每一天,我一邊凝視著你作畫,一邊像現在這樣躺在這個地方。當時幾乎總是被積雨雲遮蓋的地平線,現在則是不知何去的遠山,在隨風搖擺著雪白穗稍的芒草之上,一座座清晰地展示著它們的輪廓。

私はそれらの遠い山脈の姿をみんな暗記してしまう位、じっと目に力を入れて見入っているうちに、いままで自分の裡に潜んでいた、自然が自分のために極めて置いてくれたものを今こそ漸っと見出したと云う確信を、だんだんはっきりと自分の意識に上らせはじめていた。……

我著力凝目注視那些遠山的身姿,以至於將它們盡數默記。無形之中,一種感覺漸漸地浮現在自己的意識之上。我確信,一直在自己心中隱藏著的、大自然造化給自己的判定,今天終於找到了。……



三月になった。
三月已至。

或る午後、私がいつものようにぶらっと散歩のついでにちょっと立寄ったとでも云った風に節子の家を訪れると、門をはいったすぐ横の植込みの中に、労働者のかぶるような大きな麦稈帽をかぶった父が、片手に鋏をもちながら、そこいらの木の手入れをしていた。私はそういう姿を認めると、まるで子供のように木の枝を掻き分けながら、その傍に近づいていって、二言三言挨拶の言葉を交わしたのち、そのまま父のすることを物珍らしそうに見ていた。――そうやって植込みの中にすっぽりと身を入れていると、あちらこちらの小さな枝の上にときどき何かしら白いものが光ったりした。それはみんな莟らしかった。……
一天下午,我一如既往的悠閒的散步,順便拜訪一下節子家。結果,在剛一進門旁邊的樹叢裡,節子的父親戴著匠人的大草帽,一隻手拿著剪刀,在整理一片樹木。我認出了他,就像小孩子一樣分開樹枝,一邊走近他的身旁。互道了幾句客套話以後,我就一動不動地、好奇的看著他工作。就這樣,完全潛身於樹叢中,就會發現到處的小枝頭上總有些白色的東西不時地閃耀,那是含苞待放的花蕾。

「あれもこの頃はだいぶ元気になって来たようだが」父は突然そんな私の方へ顔をもち上げてその頃私と婚約したばかりの節子のことを言い出した。
“這陣子,它們也變得神氣多了。”節子的父親突然向我這邊抬起頭,說起這幾天剛剛和我訂了婚約的節子的事來。

「もう少し好い陽気になったら、転地でもさせてみたらどうだろうね?」
“要是天氣再變得舒適一些,就讓她換個環境試試,怎麼樣?”
「それはいいでしょうけれど……」と私は口ごもりながら、さっきから目の前にきらきら光っている一つの莟がなんだか気になってならないと云った風をしていた。
“那應該會是不錯的……”我吞吞吐吐地說著,裝作從剛才開始一直被眼前一粒閃閃發光的花苞所吸引不能自已的樣子。

「何処ぞいいところはないかとこの間うちから物色しとるのだがね――」と父はそんな私には構わずに言いつづけた。「節子はFのサナトリウムなんぞどうか知らんと言うのじゃが、あなたはあそこの院長さんを知っておいでだそうだね?」
“有沒有什麼好地方呢?這幾天我正在物色一下——”節子父親並不介意我的樣子,繼續說著。“節子說,不知道F的療養院怎麼樣。可是聽說,你好像認識那裡的院長啊。”

「ええ」と私はすこし上の空でのように返事をしながら、やっとさっき見つけた白い莟を手もとにたぐりよせた。
“誒……”我一邊有點兒心不在焉似的回答著,一邊把剛才發現的那朵白色花蕾拉到了眼前。

「だが、あそこなんぞは、あれ一人で行って居られるだろうか?」
“可是,那種地方,一個人去能行嗎?”
「みんな一人で行っているようですよ」
“好像都是一個人去的呀。”
「だが、あれにはなかなか行って居られまいね?」
“但是,節子是不能自己一個去的吧?”

父はなんだか困ったような顔つきをしたまま、しかし私の方を見ずに、自分の目の前にある木の枝の一つへいきなり鋏を入れた。それを見ると、私はとうとう我慢がしきれなくなって、それを私が言い出すのを父が待っているとしか思われない言葉を、ついと口に出した。
節子的父親保持著那種莫名的為難表情,但看也不看我這邊,猛然向自己眼前那棵樹的一個枝條剪去。看到這裡,我終於忍不住了。我說出了唯一能想到的、節子父親等著我說出的那句話。

「なんでしたら僕も一緒に行ってもいいんです。いま、しかけている仕事の方も、丁度それまでには片がつきそうですから……」
“那麼,我們一起去也不妨。現在手頭兒做的工作,到那時也正好可以結束了……”

私はそう言いながら、やっと手の中に入れたばかりの莟のついた枝を再びそっと手離した。それと同時に父の顔が急に明るくなったのを私は認めた。
我一邊這樣說著,一邊把好不容易剛剛抓到的那條帶著花蕾的樹枝再次輕輕放開。同時,我發現節子的父親的臉色豁然開朗了起來。

「そうしていただけたら、一番いいのだが、――しかしあなたにはえろう済まんな……」
“那樣關照的話,是最好不過了。只是……太對不住你了……”

それから私達はそのサナトリウムのある山岳地方のことなど話し合っていた。が、いつのまにか私達の会話は、父のいま手入れをしている植木の上に落ちていった。二人のいまお互に感じ合っている一種の同情のようなものが、そんなとりとめのない話をまで活気づけるように見えた。……
此後,我們談論了那家療養院所在的山嶽地區的情況等等。而不知從什麼時候開始,我們的話題落在了節子父親正在整理的盆栽上了。兩個人現在相互感受到一種共同的情感,使得無邊無際的話題都變得生動有趣起來……
「節子さんはお起きになっているのかしら?」しばらくしてから私は何気なさそうに訊いてみた。
“節子起床了沒?”過了一會兒,我若無其事地試探問道。

「さあ、起きとるでしょう。……どうぞ、構わんから、其処からあちらへ……」と父は鋏をもった手で、庭木戸の方を示した。私はやっと植込みの中を潜り抜けると、蔦がからみついて少し開きにくい位になったその木戸をこじあけて、そのまま庭から、この間まではアトリエに使われていた、離れのようになった病室の方へ近づいていった。
“喏,大概已經起來了吧……請!沒關係的,你從這兒穿過去吧……”節子父親用拿著剪刀的手,示意我要往庭院的木門走。我費力地從樹叢中鑽出,推開被常春藤纏繞得有些難開的木門,徑直穿過院子,朝著此前一直當畫室用但現今卻仿佛已被隔絕的病房走去。

節子は、私の来ていることはもうとうに知っていたらしいが、私がそんな庭からはいって来ようとは思わなかったらしく、寝間着の上に明るい色の羽織をひっかけたまま、長椅子の上に横になりながら、細いリボンのついた、見かけたことのない婦人帽を手でおもちゃにしていた。
節子好像一開始就知道我來了。但似乎沒有想到我會從這個院子進來。她在睡衣上披了一件色彩鮮豔的短外褂,就這樣一邊躺在長椅上,一邊在手中把玩著一頂此前從未見過的、帶著細緞帶的女士帽。

私がフレンチ扉ごしにそういう彼女を目に入れながら近づいて行くと、彼女の方でも私を認めたらしかった。彼女は無意識に立ち上ろうとするような身動きをした。が、彼女はそのまま横になり、顔を私の方へ向けたまま、すこし気まり悪そうな微笑で私を見つめた。
透過法式門,我注視著她,漸漸走近,而她好像也發現了我。她下意識地動了一下,似乎想站起來,卻依舊躺著,把臉朝向我,略帶羞澀地微笑著,注視著我。

「起きていたの?」私は扉のところで、いくぶん乱暴に靴を脱ぎながら、声をかけた。
“你沒睡嗎?”我在門口一邊有些胡亂地脫著鞋子,一邊打著招呼。

「ちょっと起きてみたんだけれど、すぐ疲れちゃったわ」
“是想起來看看,可是轉眼就累了。”

 そう言いながら、彼女はいかにも疲れを帯びたような、力なげな手つきで、ただ何んということもなしに手で弄んでいたらしいその帽子を、すぐ脇にある鏡台の上へ無造作にほうり投げた。が、それはそこまで届かないで床の上に落ちた。私はそれに近寄って、殆ど私の顔が彼女の足のさきにくっつきそうになるように屈み込んで、その帽子を拾い上げると、今度は自分の手で、さっき彼女がそうしていたように、それをおもちゃにし出していた。
這樣說著,她用疲憊無力的手勢,把那頂只是漫無目的地在手裡把玩的帽子隨意的扔在緊靠身邊的梳粧檯。但是,帽子沒有扔到的地方,落到了地板上。我走過去,彎下腰拾起帽子,臉幾乎要碰到她的腳尖。這回,我自己就像她剛才那樣把帽子拿在手裡把玩。

それから私はやっと訊いた。「こんな帽子なんぞ取り出して、何をしていたんだい?」
後來,我終於開口問道:“拿出這種帽子來做什麼?”


「そんなもの、いつになったら被れるようになるんだか知れやしないのに、お父様ったら、きのう買っておいでになったのよ。……おかしなお父様でしょう?」
“這帽子,不知道什麼時候可以戴了……是爸爸昨天買回來的……我爸是不是有些怪?”

「これ、お父様のお見立てなの? 本当に好いお父様じゃないか。……どおれ、この帽子、ちょっとかぶって御覧」と私が彼女の頭にそれを冗談半分かぶせるような真似をしかけると、
 “這個……是你爸幫你挑的麼?你爸真好……怎麼樣?把帽子戴上試試?”我半開玩笑地做出把帽子往頭上戴的動作。

「厭、そんなこと……」
“不,別這樣……”

彼女はそう言って、うるさそうに、それを避けでもするように、半ば身を起した。そうして言い訣のように弱々しい微笑をして見せながら、ふいと思い出したように、いくぶん痩せの目立つ手で、すこし縺れた髪を直しはじめた。その何気なしにしている、それでいていかにも自然に若い女らしい手つきは、それがまるで私を愛撫でもし出したかのような、呼吸づまるほどセンシュアルな魅力を私に感じさせた。そうしてそれは、思わずそれから私が目をそらさずにはいられないほどだった……
她這樣說著,做出一副厭煩的樣子,抬起半個身子,似乎要避開。隨後,像是要解釋一下似的露出梨渦淺笑,同時,仿佛突然想起什麼似的,用明顯消瘦的手,整理起有些淩亂的秀髮。那無意識的、極其自然的、韻味十足的女孩子的手勢,簡直就像在愛撫著我一樣,讓我感受到了幾乎透不過氣來的性感的魅力。而那動作竟然使我不由自主地把視線移開。

やがて私はそれまで手で弄んでいた彼女の帽子を、そっと脇の鏡台の上に載せると、ふいと何か考え出したように黙りこんで、なおもそういう彼女からは目をそらせつづけていた。
過了一會兒,我把一直拿在手裡把玩的帽子悄悄地放在旁邊的梳粧檯上,然後所有所思地陷入沉默,視線繼續避開她。

「おおこりになったの?」と彼女は突然私を見上げながら、気づかわしそうに問うた。
“你生氣了?”她突然抬起頭看我,小心地問道。

「そうじゃないんだ」と私はやっと彼女の方へ目をやりながら、それから話の続きでもなんでもなしに、出し抜けにこう言い出した。「さっきお父様がそう言っていらしったが、お前、ほんとうにサナトリウムに行く気かい?」
“沒。”我終於把目光轉到她那邊,然後前言不搭後語地冷不丁說道:“你爸爸剛說了,你真的想去療養院麼?”

「ええ、こうしていても、いつ良くなるのだか分らないのですもの。早く良くなれるんなら、何処へでも行っているわ。でも……」
“想啊。這樣呆著,也不知道什麼時候才能好。要是能早點好了,就哪兒都可以去了。可……”

「どうしたのさ? なんて言うつもりだったんだい?」
 “怎麼啦?怎麼說起這件事來了?”
「なんでもないの」
“沒什麼。”
「なんでもなくってもいいから言って御覧。……どうしても言わないね、じゃ僕が言ってやろうか? お前、僕にも一緒に行けというのだろう?」
“不要緊,你說吧。……你不應該告訴我嗎?你不是說了也讓我一起去嗎?”
「そんなことじゃないわ」と彼女は急に私を遮ろうとした。
“不是這個意思。”她突然想打斷我。

しかし私はそれには構わずに、最初の調子とは異って、だんだん真面目になりだした、いくぶん不安そうな調子で言いつづけた。「……いや、お前が来なくともいいと言ったって、そりあ僕は一緒に行くとも。だがね、ちょっとこんな気がして、それが気がかりなのだ。……僕はこうしてお前と一緒にならない前から、何処かの淋しい山の中へ、おまえみたいな可哀らしい娘と二人きりの生活をしに行くことを夢みていたことがあったのだ。お前にもずっと前にそんな私の夢を打ち明けやしなかったかしら? ほら、あの山小屋の話さ、そんな山の中に私達は住めるのかしらと云って、あのときはお前は無邪気そうに笑っていたろう? ……実はね、こんどお前がサナトリウムへ行くと言い出しているのも、そんなことが知らず識らずの裡にお前の心を動かしているのじゃないかと思ったのだ。……そうじゃないのかい?」
但是我沒有理睬。用一種跟最初不一樣、愈發認真但又有些不安的語氣繼續說: “不……即使你告訴我:你不來也可以。我也會照樣跟你一起去的。可是,我有這麼一種感覺……就是……有點兒擔心……我在和你這樣在一起以前,曾經做了一個夢。夢見我和一個像你這樣的可愛的姑娘,去了一個寂寞的山中,過著只有兩個人的生活。我不是跟你坦白過有這麼一個夢麼?哎,那個山間小屋的故事……我還問你在這種山裡我們該怎麼住,當時你笑得好天真。其實我覺得,這次你提出要去療養院,是不是因為我那個夢讓你不知不覺動心了……是不是?……”

彼女はつとめて微笑みながら、黙ってそれを聞いていたが、
她努力地微笑著,默默聽著。忽然,她幹乾脆脆地說:

「そんなこともう覚えてなんかいないわ」
“那種事情,我早就忘了。”

と彼女はきっぱりと言った。それから寧ろ私の方をいたわるような目つきでしげしげと見ながら、「あなたはときどき飛んでもないことを考え出すのね……」
然後,用一種不如說是安慰的眼神凝視著我,說:“你總是時不時冒出些出人意料的東西啊……”

それから数分後、私達は、まるで私達の間には何事もなかったような顔つきをして、フレンチ扉の向うに、芝生がもう大ぶ青くなって、あちらにもこちらにも陽炎らしいものの立っているのを、一緒になって珍らしそうに眺め出していた。
過了幾分鐘,我們帶著就像我們之間根本沒有發生過事情一樣的表情,一起珍惜地望著法式門外的草坪。草坪上綠意盎然,處處翻騰著水汽……

*
四月になってから、節子の病気はいくらかずつ恢復期に近づき出しているように見えた。そしてそれがいかにも遅々としていればいるほど、その恢復へのもどかしいような一歩一歩は、かえって何か確実なもののように思われ、私達には云い知れず頼もしくさえあった。
到了四月,節子的病情看起來有些逐步接近恢復期了。那恢復著實緩慢,緩慢得令人焦躁不安。而正是如此艱難的邁向恢復的一步一步,反而令人感到一種真實。對於我們來說,這甚至是一種難以形容的依靠。

そんな或る日の午後のこと、私が行くと、丁度父は外出していて、節子は一人で病室にいた。その日は大へん気分もよさそうで、いつも殆ど着たきりの寝間着を、めずらしく青いブラウスに着換えていた。私はそういう姿を見ると、どうしても彼女を庭へ引っぱり出そうとした。すこしばかり風が吹いていたが、それすら気持のいいくらい軟らかだった。彼女はちょっと自信なさそうに笑いながら、それでも私にやっと同意した。そうして私の肩に手をかけて、フレンチ扉から、何んだか危かしそうな足つきをしながら、おずおずと芝生の上へ出て行った。生墻に沿うて、いろんな外国種のも混じって、どれがどれだか見分けられないくらいに枝と枝を交わしながら、ごちゃごちゃに茂っている植込みの方へ近づいてゆくと、それらの茂みの上には、あちらにもこちらにも白や黄や淡紫の小さな莟がもう今にも咲き出しそうになっていた。私はそんな茂みの一つの前に立ち止まると、去年の秋だったか、それがそうだと彼女に教えられたのをひょっくり思い出して、
一天下午,我去到她的家,恰好她父親出門在外,節子一個人在病房裡。那天,她的心情似乎相當的好,非常難得地把總是穿在身上就不換的睡衣,換成了藍色的罩衫。我看到她這裝扮,下定主意把她拉出去到院子裡。雖然有些許風,但也是柔柔的,令人心曠神怡。她略帶不自信的笑著,但最終還是同意了我的提議。於是她的手搭在我的肩上,走出法式大門,謹小慎微地邁著步,戰戰兢兢的來到了草坪。沿著灌木的圍牆,走進各種外國品種混雜在一起、枝椏交錯、難分彼此、枝繁葉茂的園林。在這一片繁茂之上,到處都白色、黃色、淡紫色的小花蕾含苞欲放。我止步于這繁茂的一處。暮然想起去年秋天她告訴我花卉名稱的情景。

「これはライラックだったね?」と彼女の方をふり向きながら、半ば訊くように言った。「それがどうもライラックじゃないかも知れないわ」と私の肩に軽く手をかけたまま、彼女はすこし気の毒そうに答えた。
“這個應該是紫丁香吧!”我一邊把頭轉向她,一邊半帶詢問地說。“那可不是紫丁香。”她依然把手輕輕搭在我的肩上,有些過意不去地說。
「ふん……じゃ、いままで嘘を教えていたんだね?」
“哼……那麼,你一直都在誤人子弟。”
「嘘なんか衝きやしないけれど、そういって人から頂戴したの。……だけど、あんまり好い花じゃないんですもの」
“我倒是沒有撒什麼謊.,那也是拜人所賜。……只是,現在也沒有什麼好看的花了。”
「なあんだ、もういまにも花が咲きそうになってから、そんなことを白状するなんて! じゃあ、どうせあいつも……」私はその隣りにある茂みの方を指さしながら、「あいつは何んていったっけなあ?」
“什麼呀,眼看這花就要開了。現在才坦白這事!莫非那個也是……”我指住旁邊的樹叢。“那是什麼?”
「金雀児?」と彼女はそれを引き取った。私達は今度はそっちの茂みの前に移っていった。
“金雀兒?”她把枝條拿在手裡。我們這時挪到這片樹叢前邊。
「この金雀児は本物よ。ほら、黄いろいのと白いのと、莟が二種類あるでしょう? こっちの白いの、それあ珍らしいのですって……お父様の御自慢よ……」
“這個金雀兒可是真的。看,有黃色、白色兩種花蕾哦!這邊白色的,據說是相當稀有的。那可是我父親的驕傲啊……”
そんな他愛のないことを言い合いながら、その間じゅう節子は私の肩から手をはずさずに、しかし疲れたというよりも、うっとりとしたようになって、私に靠れかかっていた。それから私達はしばらくそのまま黙り合っていた。そうすることがこういう花咲き匂うような人生をそのまま少しでも引き留めて置くことが出来でもするかのように。ときおり軟らかな風が向うの生墻の間から抑えつけられていた呼吸かなんぞのように押し出されて、私達の前にしている茂みにまで達し、その葉を僅かに持ち上げながら、それから其処にそういう私達だけをそっくり完全に残したまんま通り過ぎていった。
交談著這些無足輕重的事情,節子的手始終沒有離開我的肩膀。與其說她是累了,倒不如說是出了神,靠在我的肩上了。然後,我們就這樣久久的相視無語。仿佛這樣就能夠原封不動地挽留這個花開吐芳的人生更久一些。柔和的微風偶爾從對面的灌木牆縫隙裡擠出,宛如被控制的呼吸,抵達我們前面的樹叢,將樹葉微微的抬起,然後行將過去,將現在的我們原封不動地留在這裡。

突然、彼女が私の肩にかけていた自分の手の中にその顔を埋めた。私は彼女の心臓がいつもよりか高く打っているのに気がついた。
突然,她把臉埋在自己搭在我肩上的手中。我發現她的心臟比平時跳得更加強烈了。
「疲れたの?」私はやさしく彼女に訊いた。
“累了?”我柔聲問她。
「いいえ」と彼女は小声に答えたが、私はますます私の肩に彼女のゆるやかな重みのかかって来るのを感じた。
“不是。”她小聲回答道。但我感受到她的體重,緩緩地壓到我的肩上。

「私がこんなに弱くって、あなたに何んだかお気の毒で……」彼女はそう囁いたのを、私は聞いたというよりも、むしろそんな気がした位のものだった。
“我身體這麼差。總覺得對不起你……”她的耳語很輕,與其是說我聽到了,不如說是我感受到了。
「お前のそういう脆弱なのが、そうでないより私にはもっとお前をいとしいものにさせているのだと云うことが、どうして分らないのだろうなあ……」と私はもどかしそうに心のうちで彼女に呼びかけながら、しかし表面はわざと何んにも聞きとれなかったような様子をしながら、そのままじっと身動きもしないでいると、彼女は急に私からそれを反らせるようにして顔をもたげ、だんだん私の肩から手さえも離して行きながら、「どうして、私、この頃こんなに気が弱くなったのかしら? こないだうちは、どんなに病気のひどいときだって何んとも思わなかった癖に……」
“你是這樣的柔弱,更讓我感到憐愛。你怎麼不明白呢……”我在心裡焦急地呼喚,但表面上卻故意裝出什麼都沒聽見的樣子,一動不動,沒有應答她。她忽然仰起臉,抬起頭,漸漸地,手也離開了我的肩膀,一邊走一邊用低沉的聲音,宛如自言自語一樣,含含糊糊地說:“為什麼?我……這個時候……還表現得這麼懦弱?……這些日子,不管病得多重,我都沒有胡思亂想,但是……”
と、ごく低い声で、独り言でも言うように口ごもった。沈黙がそんな言葉を気づかわしげに引きのばしていた。そのうち彼女が急に顔を上げて、私をじっと見つめたかと思うと、それを再び伏せながら、いくらか上ずったような中音で言った。「私、なんだか急に生きたくなったのね……」
沉默,令人憂慮地延長著這些話。沉默中,她猛地抬起頭。我還以為她要注視我,她卻再次把頭低了下來,用略微抬高了的中音說:“我不知道為什麼突然又想活下去……”

それから彼女は聞えるか聞えない位の小声で言い足した。「あなたのお蔭で……」
然後,她用聽得見但又聽不見的聲音補充道:
“因為有你……”

*
 それは、私達がはじめて出会ったもう二年前にもなる夏の頃、不意に私の口を衝いて出た、そしてそれから私が何んということもなしに口ずさむことを好んでいた、
那是我們兩年前第一次見面的那個夏天。我不經意間脫口而出、而後也無緣無故地喜歡吟誦的詩句:
風立ちぬ、いざ生きめやも。
縱有疾風起,人生不言棄。
という詩句が、それきりずっと忘れていたのに、又ひょっくりと私達に蘇ってきたほどの、――云わば人生に先立った、人生そのものよりかもっと生き生きと、もっと切ないまでに愉しい日々であった。
這句詩,突然間又為我們找回了那段時候一直都已忘懷的時光——換言之,人生最重要的、從人生自身到更加生動鮮活、更加煩惱苦悶的、快樂的每一天。
私達はその月末に八ヶ岳山麓のサナトリウムに行くための準備をし出していた。私は、一寸した識合いになっている、そのサナトリウムの院長がときどき上京する機会を捉えて、其処へ出かけるまでに一度節子の病状を診て貰うことにした。
我們開始為月末去八嶽山麓療養院做準備了。決定抓住那位相交不深的療養院院長常常進京的機會,在出發之前請他看看節子的病情。
 或る日、やっとのことで郊外にある節子の家までその院長に来て貰って、最初の診察を受けた後、「なあに大したことはないでしょう。まあ、一二年山へ来て辛抱なさるんですなあ」と病人達に言い残して忙しそうに帰ってゆく院長を、私は駅まで見送って行った。私は彼から自分にだけでも、もっと正確な彼女の病態を聞かしておいて貰いたかったのだった。
這一天,好不容易請到那位院長來到郊外的節子家。接受了第一次檢查之後,他說:“問題不大。嗯,得到山裡苦個一兩年吧!”院長給我們留下這些話,就匆匆忙忙的回去了。我把院長送到車站,想從他那裡聽到只能告訴我的、關於節子的更準確的病情。
「しかし、こんなことは病人には言わぬようにしたまえ。父親にはそのうち僕からもよく話そうと思うがね」院長はそんな前置きをしながら、少し気むずかしい顔つきをして節子の容態をかなり細かに私に説明してくれた。それからそれを黙って聞いていた私の方をじっと見て、「君もひどく顔色が悪いじゃないか。ついでに君の身体も診ておいてやるんだったな」と私を気の毒がるように言った。
“這個……這種事情,不要跟節子說。她父親那邊,我想在近幾天跟他詳細談談。”院長說這些開場白之後,帶著幾分痛苦的表情,非常詳細地向我說明了節子的情況。“你的臉色不也是非常難看嗎?我順便也檢查檢查你的身體。”他難掩同情地跟我說。
駅から私が帰って、再び病室にはいってゆくと、父はそのまま寝ている病人の傍に居残って、サナトリウムへ出かける日取などの打ち合わせを彼女とし出していた。なんだか浮かない顔をしたまま、私もその相談に加わり出した。「だが……」父はやがて何か用事でも思いついたように、立ち上がりながら、「もうこの位に良くなっているのだから、夏中だけでも行っていたら、よかりそうなものだがね」といかにも不審そうに言って、病室を出ていった。
我從車站回來回到病房,節子的父親依舊躺在節子身邊,開始和她商議著挑選去療養院的出發日期之類的事情。我依舊帶著無精打采的表情,加入到他們的討論之中。“可是……”不一會兒,父親好像想起了什麼事情似的,一邊站起來一邊令人摸不著頭腦的說:“已經恢復得這樣了,只要夏天過去,一切應該都會變得很好的啊。”說著,就走出了病房。
二人きりになると、私達はどちちからともなくふっと黙り合った。それはいかにも春らしい夕暮であった。私はさっきからなんだか頭痛がしだしているような気がしていたが、それがだんだん苦しくなってきたので、そっと目立たぬように立ち上がると、硝子扉の方に近づいて、その一方の扉を半ば開け放ちながら、それに靠れかかった。そうしてしばらくそのまま私は、自分が何を考えているのかも分からない位にぼんやりして、一面にうっすらと靄の立ちこめている向うの植込みのあたりへ「いい匂がするなあ、何んの花のにおいだろう――」と思いながら、空虚な目をやっていた。
只剩下兩個人了,我們都不由自主地沉默了起來。那是一個名副其實的春日黃昏。我剛才覺得莫名的頭疼,而這種疼痛的感覺越來越加深了。於是,我不想引起注意,悄悄的站了起來,走到玻璃門邊,把半邊門打開一半,便靠在了門上。就這樣,我一動不動地發呆,也不知道自己在想什麼,空虛的眼神投向背面騰起一片薄霧的樹叢裡邊,心裡想著:“真香啊,那是什麼花的香氣……”
「何をしていらっしゃるの?」
“你在幹嘛?”
私の背後で、病人のすこし嗄れた声がした。それが不意に私をそんな一種の麻痺したような状態から覚醒させた。私は彼女の方には背中を向けたまま、いかにも何か他のことでも考えていたような、取ってつけたような調子で、「お前のことだの、山のことだの、それからそこで僕達の暮らそうとしている生活のことだのを、考えているのさ……」
我的背後,傳來節子略帶沙啞的聲音。這聲音突如其來的把我從這種恍惚麻痹的狀態下喚醒。我背對著她不動,用假裝出來的、若有所思似的語調,斷斷續續地說:“我在想你的事情、山裡的事情、還有在那裡我們要過的生活。”
と途切れ途切れに言い出した。が、そんなことを言い続けているうちに、私はなんだか本当にそんな事を今しがたまで考えていたような気がしてきた。そうだ、それから私はこんなことも考えていたようだ――。
而這樣不斷地說著的時候,不知道為什麼,我竟覺得直到剛才才真的在想這些事情。是的,那以後,我好像也思考了這些事情。
「向うへいったら、本当にいろいろな事が起るだろうなあ。……しかし人生というものは、お前がいつもそうしているように、何もかもそれに任せ切って置いた方がいいのだ。……そうすればきっと、私達がそれを希おうなどとは思いも及ばなかったようなものまで、私達に与えられるかも知れないのだ。……」そんなことまで心の裡で考えながら、それには少しも自分では気がつかずに、私はかえって何んでもないように見える些細な印象の方にすっかり気をとられていたのだ。……
“到了那邊,真的應該有各種事情發生的……但是,人生這個東西,就像你一直做的那樣,可以把一切都交給他。如果能這樣,就一定會把我們也許想都想不到去祈求的東西賜給我們。”我心裡這樣想著,反而被一些細微的印象徹底吸引進去,而自己卻絲毫沒有注意到。
そんな庭面はまだほの明るかったが、気がついて見ると、部屋のなかはもうすっかり薄暗くなっていた。
庭院還微微地亮著,而當我注意到的時候,房子裡已經完全變得昏暗起來。
「明りをつけようか?」私は急に気をとりなおしながら言った。
“要把燈打開嗎?”我回過神來問道。
「まだつけないでおいて頂戴……」そう答えた彼女の声は前よりも嗄れていた。
“還是別開了……”她的回答聲比剛才更加沙啞了。
 しばらく私達は言葉もなくていた。
良久,我們都沒有說過話。
「私、すこし息ぐるしいの、草のにおいが強くて……」
“我有些喘不過氣來了,草的氣味太濃了。”
「じゃ、ここも締めて置こうね」
“那……我去把門關了。”
 私は、殆ど悲しげな調子でそう応じながら、扉の握りに手をかけて、それを引きかけた。
我用近乎悲傷的語調這樣應和著,抓住門把手,把門拉上。
「あなた……」彼女の声は今度は殆ど中性的なくらいに聞えた。「いま、泣いていらしったんでしょう?」
“你……”這一次,她的聲音聽起來幾乎就是中性的,“你剛才在哭嗎?”
私はびっくりした様子で、急に彼女の方をふり向いた。
我做出吃驚的樣子,突然轉向她。
「泣いてなんかいるものか。……僕を見て御覧」
 “誰哭了……不信你看看我。”
彼女は寝台の中から私の方へその顔を向けようともしなかった。もう薄暗くってそれとは定かに認めがたい位だが、彼女は何かをじっと見つめているらしい。しかし私がそれを気づかわしそうに自分の目で追って見ると、ただ空を見つめているきりだった。
她甚至不想從床裡把臉轉向我,儘管天色昏暗,難以確認,但是她看上去是在全神貫注地看著什麼東西。而當我擔心地把視線追過去的時候,卻看到她在凝視著上空。
「わかっているの、私にも……さっき院長さんに何か言われていらしったのが……」
“其實……我也知道……剛才院長說了些什麼……”
私はすぐ何か答えたかったが、何んの言葉も私の口からは出て来なかった。私はただ音を立てないようにそっと扉を締めながら再び、夕暮れかけた庭面を見入り出した。
我想馬上回答些什麼,但什麼也說不出來。我只是輕輕地再次關緊門,出神地注視著即將黃昏的庭院。
やがて私は、私の背後に深い溜息のようなものを聞いた。
過了一會兒,我聽到了背後深深的歎息。
「御免なさい」彼女はとうとう口をきいた。その声はまだ少し顫えを帯びていたが、前よりもずっと落着いていた。「こんなこと気になさらないでね……。私達、これから本当に生きられるだけ生きましょうね……」
“對不起。”她終於開口了。那聲音雖然仍有些顫抖,但比以前鎮定了許多。“這些事情……請你不要太過在意,我們……今後能活多久就多久吧……”
私はふりむきながら、彼女がそっと目がしらに指先をあてて、そこにそれをじっと置いているのを認めた。
我轉過頭,看見她悄悄地把指尖放在內眼角上,一直沒有移開。

*

四月下旬の或る薄曇った朝、停車場まで父に見送られて、私達はあたかも蜜月の旅へでも出かけるように、父の前はさも愉しそうに、山岳地方へ向う汽車の二等室に乗り込んだ。汽車は徐かにプラットフォームを離れ出した。その跡に、つとめて何気なさそうにしながら、ただ背中だけ少し前屈みにして、急に年とったような様子をして立っている父だけを一人残して。――
四月下旬一個微雲的早晨,節子的父親把我們送到了停車場。我們好像出發去度蜜月一樣,當著父親的面,非常高興地乘上了前往山嶽地方的火車的二等車廂。火車緩緩離開了月臺。車後,只留下父親一人努力裝作若無其事地站著,他的後背已經微微前屈,仿佛突然變老了。

すっかりプラットフォームを離れると、私達は窓を締めて、急に淋しくなったような顔つきをして、空いている二等室の一隅に腰を下ろした。そうやってお互の心と心を温め合おうとでもするように、膝と膝とをぴったりとくっつけながら……
完全離開月臺後,我們關上車窗,一下子表情變得寂寞起來,在二等車廂空著的一個角落坐了下來。我們膝蓋和膝蓋緊緊的貼在一起,仿佛這樣就能夠相互溫暖對方的心……


風立ちぬ
(風雪黃昏)

 私達の乗った汽車が、何度となく山を攀じのぼったり、深い渓谷に沿って走ったり、又それから急に打ち展けた葡萄畑の多い台地を長いことかかって横切ったりしたのち、漸っと山岳地帯へと果てしのないような、執拗な登攀をつづけ出した頃には、空は一層低くなり、いままではただ一面に鎖ざしているように見えた真っ黒な雲が、いつの間にか離れ離れになって動き出し、それらが私達の目の上にまで圧しかぶさるようであった。空気もなんだか底冷えがしだした。上衣の襟を立てた私は、肩掛にすっかり体を埋めるようにして目をつぶっている節子の、疲れたと云うよりも、すこし興奮しているらしい顔を不安そうに見守っていた。彼女はときどきぼんやりと目をひらいて私の方を見た。はじめのうちは二人はその度毎に目と目で微笑みあったが、しまいにはただ不安そうに互を見合ったきり、すぐ二人とも目をそらせた。そうして彼女はまた目を閉じた。

我們乘坐的火車一次次地攀上高山,沿著深深的溪谷奔跑,然後花了很長時間的橫穿後,大地突然開闊起來,在經過了一個有很多葡萄園的臺地以後,終於奔向山嶽地帶。在這似乎沒有盡頭的、頑強地不斷的攀登的途中,天空變得更低了,剛才看起來還是被束成一團的漆黑雲朵,不知何時四分五裂地浮動起來,仿佛要直壓我們的眼前。空氣也開始徹骨地寒冷起來。我束起上衣的衣領,不安地守望著想把身子全埋在披肩裡、閉著眼睛的節子,她臉上寫滿的與其說是疲勞,不如說是有些許興奮。她時而漠然地睜開眼睛看我。最初,兩個人每次還互相用眼睛對視微笑著,而後便只是互相不安地對視,馬上又都把視線移開。然後她又閉上了眼睛。

「なんだか冷えてきたね。雪でも降るのかな」
“怎麼好像冷了起來,是不是下雪了?”
「こんな四月になっても雪なんか降るの?」
“才剛過了四月,也會下雪嗎?”
「うん、この辺は降らないともかぎらないのだ」
“誒,這一帶就是不能保證不下雪的。”

まだ三時頃だというのにもうすっかり薄暗くなった窓の外へ目を注いだ。ところどころに真っ黒な樅をまじえながら、葉のない落葉松が無数に並び出しているのに、すでに私達は八ヶ岳の裾を通っていることに気がついたが、まのあたりに見える筈の山らしいものは影も形も見えなかった。……
雖然才三點左右,窗外已完全變得昏暗。我凝望著窗外,發現到處排列著無數沒有葉子的落葉松,間或混著些樅樹。我們已經過了八嶽山腳,而眼下就應該看到的像山的東西卻還是無影無蹤。

汽車は、いかにも山麓らしい、物置小屋と大してかわらない小さな駅に停車した。駅には、高原療養所の印のついた法被を着た、年とった、小使が一人、私達を迎えに来ていた。
火車在山麓那個和小倉庫沒有多大區別的小站停了下來。車站上,有一名穿著“高原療養所”標誌的號衣、上了年紀的勤雜工來迎接我們。

駅の前に待たせてあった、古い、小さな自動車のところまで、私は節子を腕で支えるようにして行った。私の腕の中で、彼女がすこしよろめくようになったのを感じたが、私はそれには気づかないようなふりをした。
我用胳膊架著節子,走向車站前久候多時的、又舊又小的汽車。在我的臂彎裡,我感覺到她有些踉蹌,但卻裝出沒有察覺的樣子。

「疲れたろうね?」
“累了嗎?”
「そんなでもないわ」
“不累。”

私達と一緒に下りた数人の土地の者らしい人々が、そういう私達のまわりで何やら囁き合っていたようだったが、私達が自動車に乗り込んでいるうちに、いつのまにかその人々は他の村人たちに混って見分けにくくなりながら、村のなかに消えていた。
和我們一起下車的幾個當地人,在我們周圍竊竊私語著什麼。而當我們乘上汽車的時候,那些人便在不知不覺間,與其他村民混雜在一起,難以辨別,消逝在村落之中。

私達の自動車が、みすぼらしい小家の一列に続いている村を通り抜けた後、それが見えない八ヶ岳の尾根までそのまま果てしなく拡がっているかと思える凸凹の多い傾斜地へさしかかったと思うと、背後に雑木林を背負いながら、赤い屋根をした、いくつも側翼のある、大きな建物が、行く手に見え出した。
我們的汽車穿過簡陋的小屋連成一列的村莊,剛一進入,在那無窮無盡擴展開來、直至遙不可及的八嶽山脊、凹凸不平的斜坡前方,我們看到了一幢背靠雜木林、有著紅色屋頂和幾個側樓的巨大建築物。
「あれだな」と、私は車台の傾きを身体に感じ出しながら、つぶやいた。
“是那個吧!”我一邊用身體感受著車體的傾斜,一邊喃喃自語道。
節子はちょっと顔を上げ、いくぶん心配そうな目つきで、それをぼんやりと見ただけだった。
節子只是微微地揚起臉,用略帶憂鬱的眼神,木然地看著它。

サナトリウムに着くと、私達は、その一番奥の方の、裏がすぐ雑木林になっている、病棟の二階の第一号室に入れられた。簡単な診察後、節子はすぐベッドに寝ているように命じられた。リノリウムで床を張った病室には、すべて真っ白に塗られたベッドと卓と椅子と、――それからその他には、いましがた小使が届けてくれたばかりの数箇のトランクがあるきりだった。二人きりになると、私はしばらく落着かずに、附添人のために宛てられた狭苦しい側室にはいろうともしないで、そんなむき出しな感じのする室内をぼんやりと見廻したり、又、何度も窓に近づいては、空模様ばかり気にしていた。風が真っ黒な雲を重たそうに引きずっていた。そしてときおり裏の雑木林から鋭い音を・いだりした。私は一度寒そうな恰好をしてバルコンに出て行った。バルコンは何んの仕切もなしにずっと向うの病室まで続いていた。その上には全く人けが絶えていたので、私は構わずに歩き出しながら、病室を一つ一つ覗いて行って見ると、丁度四番目の病室のなかに、一人の患者の寝ているのが半開きになった窓から見えたので、私はいそいでそのまま引っ返して来た。
到了療養院之後,我們被安排到最裡邊、背後就是雜木林的那幢住院樓的二樓第一號病房。簡單檢查之後,節子被命令馬上上床躺下。在油氈鋪地的病房裡,除了勤雜工剛剛送來的幾隻行李箱,就是被漆成颯白的床和桌椅。只剩下兩個人之後,我久久都不能平靜,不時來到專門分配給陪護人的狹窄不堪的側室,漠然的環顧著這令人感覺無遮無攔的室內,又數次走近窗戶,專心觀察天氣的變化。風費力地拖曳著漆黑的雲,時而從背後的雜木林擠出尖銳的聲音。我一度走到陽臺,做出一副很冷的樣子。陽臺沒有任何隔斷,一直通向那邊的病房。我滿不在乎地走去,窺望著每一間病房。正好在第四間病房,可以透過半開的窗子,看到一位患者在睡覺。於是,我馬上就匆匆忙忙的回來了。

 やっとランプが点いた。それから私達は看護婦の運んで来てくれた食事に向い合った。それは私達が二人きりで最初に共にする食事にしては、すこし侘びしかった。食事中、外がもう真っ暗なので何も気がつかずに、唯何んだかあたりが急に静かになったなと思っていたら、いつのまにか雪になり出したらしかった。

終於,燈亮了。然後,我們圍坐在護士送來的飯菜前。那是我們第一次只有兩個人在一起的就餐。就此而言,有些冷清。吃飯的時候,外面已經漆黑一片,所以也沒有注意到什麼,只是突然間覺得不知為什麼四周忽然寂靜了下來,原來不知何時天空飄起了雪。

私は立ち上って、半開きにしてあった窓をもう少し細目にしながら、その硝子に顔をくっつけて、それが私の息で曇りだしたほど、じっと雪のふるのを見つめていた。それからやっと其処を離れながら、節子の方を振り向いて、「ねえ、お前、何んだってこんな……」と言い出しかけた。

我站起身來,把半開的窗子再關緊一點,然後,把臉湊到那玻璃跟前,一動不動地凝視著雪花沉沉下墜——以致於那玻璃因為我的氣息而起了霧。過了許久,我離開那裡,並轉向節子說:“哎,你怎麼啦……”

彼女はベッドに寝たまま、私の顔を訴えるように見上げて、それを私に言わせまいとするように、口へ指をあてた。
她依舊躺在床上,目光如炬地仰望住我的臉,卻把手指放在嘴唇上,仿佛又不想對我說出那些話。


*

八ヶ岳の大きなのびのびとした代赭色の裾野が漸くその勾配を弛めようとするところに、サナトリウムは、いくつかの側翼を並行に拡げながら、南を向いて立っていた。その裾野の傾斜は更に延びて行って、二三の小さな山村を村全体傾かせながら、最後に無数の黒い松にすっかり包まれながら、見えない谿間のなかに尽きていた。
療養院在宏大延綿、深褐色的八嶽山麓由陡及緩處向南而立,並列地伸展著幾行側翼。山麓的傾斜繼續延伸著,使得三三兩兩的山村也都傾斜著,最後被無數的黑松樹徹底覆蓋,終止於視野之外的山谷。

サナトリウムの南に開いたバルコンからは、それらの傾いた村とその赭ちゃけた耕作地が一帯に見渡され、更にそれらを取り囲みながら果てしなく並み立っている松林の上に、よく晴れている日だったならば、南から西にかけて、南アルプスとその二三の支脈とが、いつも自分自身で湧き上らせた雲のなかに見え隠れしていた。
從療養院南向開放的陽臺望去,可將那一帶傾斜的山村和褐色的耕地盡收眼底。而且如果是晴朗的好日子,在環繞的村莊和田野、排列緊密、無邊無際的松林之上,總能看見自西而東的南阿爾卑斯山脈和它的幾個支脈,在自己生成的雲海中若隱若現。

サナトリウムに着いた翌朝、自分の側室で私が目を醒ますと、小さな窓枠の中に、藍青色に晴れ切った空と、それからいくつもの真っ白い鶏冠のような山顛が、そこにまるで大気からひょっくり生れでもしたような思いがけなさで、殆んど目ながいに見られた。そして寝たままでは見られないバルコンや屋根の上に積った雪からは、急に春めいた日の光を浴びながら、絶えず水蒸気がたっているらしかった。
到達療養院的第二天早晨,我在自己的側室裡醒來。小窗框中,晴澈的藍天和幾座雪白的、雞冠似的山峰,宛如從大氣中突然誕生出來似的,出人意料地呈現在眼前。而躺著時看不見的陽臺及屋裡的積雪,沐浴著突然到來的、春意盎然的陽光,似乎正在不斷地散發著水蒸氣。

すこし寝過したくらいの私は、いそいで飛び起きて、隣りの病室へはいって行った。節子は、すでに目を醒ましていて、毛布にくるまりながら、ほてったような顔をしていた。
大概有點睡過頭了,我急忙跳起來,走進隔壁的病房。節子已經醒了,裹在毛毯裡,一臉緋紅。

「お早う」私も同じように、顔がほてり出すのを感じながら、気軽そうに言った。「よく寝られた?」
“早啊!”我也感覺到自己的臉也在漲紅,輕鬆的說:“睡得好嗎?”
「ええ」彼女は私にうなずいて見せた。「ゆうべ睡眠剤を飲んだの。なんだか頭がすこし痛いわ」
“好。”她對我頜首示意,“昨天吃安眠藥了,不知道怎麼回事,有點頭疼。”

私はそんなことになんか構っていられないと云った風に、元気よく窓も、それからバルコンに通じる硝子扉も、すっかり開け放した。まぶしくって、一時は何も見られない位だったが、そのうちそれに目がだんだん馴れてくると、雪に埋れたバルコンからも、屋根からも、野原からも、木からさえも、軽い水蒸気の立っているのが見え出した。
我做出那種無所謂的樣子,勁頭十足地把窗戶以及通往陽臺的玻璃門全部打開。眼睛被光晃得一時間幾乎什麼都看不見了。而當眼睛慢慢適應之後,逐漸看見被雪埋住的陽臺、屋頂、原野、樹木,上騰著輕盈的水蒸氣。

「それにとても可笑しな夢を見たの。あのね……」彼女が私の背後で言い出しかけた。
“而且,我做了一個很奇怪的夢。”她在我背後開始說了起來。

私はすぐ、彼女が何か打ち明けにくいようなことを無理に言い出そうとしているらしいのを覚った。そんな場合のいつものように、彼女のいまの声もすこし嗄れていた。
我馬上感覺到她似乎在努力說出什麼難以啟齒的事情。就像每次遇到這種情況時一樣,她現在的聲音也略帶沙啞。

今度は私が、彼女の方を振り向きながら、それを言わせないように、口へ指をあてる番だった。……
這次輪到我轉向她,把手指放在嘴上,不讓她說出聲來……

やがて看護婦長がせかせかした親切そうな様子をしてはいって来た。こうして看護婦長は、毎朝、病室から病室へと患者達を一人一人見舞うのである。
不久,護士長匆匆忙忙、表情親切地走了進來。護士長就是這樣每天早晨一個病房一個病房的逐個看望患者的。

「ゆうべはよくお休みになれましたか?」看護婦長は快活そうな声で尋ねた。
“您昨晚休息得好嗎?”護士長用親切的語調問道。
病人は何も言わないで、素直にうなずいた。
節子什麼也沒有說,老老實實地點著頭。


*

こういう山のサナトリウムの生活などは、普通の人々がもう行き止まりだと信じているところから始まっているような、特殊な人間性をおのずから帯びてくるものだ。――私が自分の裡にそういう見知らないような人間性をぼんやりと意識しはじめたのは、入院後間もなく私が院長に診察室に呼ばれて行って、節子のレントゲンで撮られた疾患部の写真を見せられた時からだった。

這種山中療養院之類的生活,本身帶有一種特殊的人性,那是從一般人看來已經無路可走之處開始起步的。我模模糊糊地意識到,自己也擁有這種似乎很陌生的人性,是從剛住院不久就被院長叫去診斷室、給我看節子患部X光照片的時候開始的。

院長は私を窓ぎわに連れて行って、私にも見よいように、その写真の原板を日に透かせながら、一々それに説明を加えて行った。右の胸には数本の白々とした肋骨がくっきりと認められたが、左の胸にはそれらが殆んど何も見えない位、大きな、まるで暗い不思議な花のような、病竈ができていた。
院長把我帶到窗邊,仿佛我也得看似的,把照片的底板對著陽光,一一加以說明。右胸的幾根白花花的肋骨清晰可辨,但左胸的肋骨幾乎什麼都看不見,形成了一個大大的、宛如神秘黑花一樣的病灶。

「思ったよりも病竈が拡がっているなあ。……こんなにひどくなってしまっているとは思わなかったね。……これじゃ、いま、病院中でも二番目ぐらいに重症かも知れんよ……」
“病灶比想像的還要大,沒想到會變得這麼嚴重了……這樣的話,恐怕是當下醫院裡第二嚴重的重症了……”

そんな院長の言葉が自分の耳の中でがあがあするような気がしながら、私はなんだか思考力を失ってしまった者みたいに、いましがた見て来たあの暗い不思議な花のような影像をそれらの言葉とは少しも関係がないもののように、それだけを鮮かに意識の閾に上らせながら、診察室から帰って来た。自分とすれちがう白衣の看護婦だの、もうあちこちのバルコンで日光浴をしだしている裸体の患者達だの、病棟のざわめきだの、それから小鳥の囀りだのが、そういう私の前を何んの連絡もなしに過ぎた。
我從診斷室回來,感覺著院長這番話在耳邊絮繞,卻不知為什麼像一個失去了思考能力的人一樣,只是把那個剛剛看過的神秘黑花清晰的呈現於意識世界之上,仿佛它與那番話根本沒有關係。無論是與自己擦肩而過的白衣護士,還是已經開始在四周的陽臺上做日光浴的裸體患者,病房的嘈雜,還有鳥兒的鳴叫,都在我前面沒有任何關聯地經過。

私はとうとう一番はずれの病棟にはいり、私達の病室のある二階へ通じる階段を昇ろうとして機械的に足を弛めた瞬間、その階段の一つ手前にある病室の中から、異様な、ついぞそんなのはまだ聞いたこともないような気味のわるい空咳が続けさまに洩れて来るのを耳にした。
我終於走進了最邊上的住院樓,在即將踏上通往我們病房所在的二樓的樓梯而機械性地放鬆腿部的瞬間,我聽見從緊靠樓梯的一間病房裡,連續不斷傳來乾咳聲,這種聲音是異樣的、從未聽過的,也是讓人心裡極不舒服的。

「おや、こんなところにも患者がいたのかなあ」と思いながら、私はそのドアについている No.17 という数字を、ただぼんやりと見つめた。
“哦。這種地方也有患者。”我只是這樣想著,漠然地注視著那門上釘著的NO.17的數字。


*
こうして私達のすこし風変りな愛の生活が始まった。
就這樣,我們風格略異的愛情生活開始了。

節子は入院以来、安静を命じられて、ずっと寝ついたきりだった。そのために、気分の好いときはつとめて起きるようにしていた入院前の彼女に比べると、かえって病人らしく見えたが、別に病気そのものは悪化したとも思えなかった。医者達もまた直ぐ快癒する患者として彼女をいつも取り扱っているように見えた。「こうして病気を生捕りにしてしまうのだ」と院長などは冗談でも言うように言ったりした。
節子住院以來就被要求靜養,一直臥床不起。為此,跟住院之前相比,現在看起來,她反而更像病人了——以前她還能夠在心情好的時候盡力起床的。但是病情本身並沒有覺得有什麼特別的惡化。在外表上,醫生們也總是把她當作馬上就痊癒的患者來對待。院長等人也常常開玩笑似的說:“這樣下去,就能生擒病魔。”

季節はその間に、いままで少し遅れ気味だったのを取り戻すように、急速に進み出していた。春と夏とが殆んど同時に押し寄せて来たかのようだった。毎朝のように、鶯や閑古鳥の囀りが私達を眼ざませた。そして殆んど一日中、周囲の林の新緑がサナトリウムを四方から襲いかかって、病室の中まですっかり爽やかに色づかせていた。それらの日々、朝のうちに山々から湧いて出て行った白い雲までも、夕方には再び元の山々へ立ち戻って来るかと見えた。
在這期間,季節突然快速轉移,仿佛要奪回前些時日略顯遲緩的節奏一般。春天和夏天好像要同時到來似的。每天早晨,黃鶯和布穀鳥的啼鳴把我們喚醒。而後的一天之內,周圍林子中的新綠從四面八方向療養院襲來,連病房裡都被徹底地塗上了清爽的色彩。在那些日子裡,似乎就是連早晨從山中湧出並飄開去的白雲,也在傍晚重又返回原來的群山之中。

私は、私達が共にした最初の日々、私が節子の枕もとに殆んど附ききりで過したそれらの日々のことを思い浮べようとすると、それらの日々が互に似ているために、その魅力はなくはない単一さのために、殆んどどれが後だか先きだか見分けがつかなくなるような気がする。
我每次想起我們最初在一起的那些日子,每次想起我在節子枕畔幾乎形影相隨的這些日子,就會因為這些時光的相似,由於那魅力的不可磨滅的單純,而發現它們變得幾乎無法分清孰先孰後。


 と言うよりも、私達はそれらの似たような日々を繰り返しているうちに、いつか全く時間というものからも抜け出してしまっていたような気さえする位だ。そして、そういう時間から抜け出したような日々にあっては、私達の日常生活のどんな些細なものまで、その一つ一つがいままでとは全然異った魅力を持ち出すのだ。私の身辺にあるこの微温い、好い匂いのする存在、その少し早い呼吸、私の手をとっているそのしなやかな手、その微笑、それからまたときどき取り交わす平凡な会話、――そう云ったものを若し取り除いてしまうとしたら、あとには何も残らないような単一な日々だけれども、――我々の人生なんぞというものは要素的には実はこれだけなのだ、そして、こんなささやかなものだけで私達がこれほどまで満足していられるのは、ただ私がそれをこの女と共にしているからなのだ、と云うことを私は確信していられた。

我甚至感到,與其這樣說,不如說我們在反復重複著這些相似的日子中,不知何時起,已經不知不覺地從時間裡跳了出來。於是,有了那些擺脫時間的日子,使得我們日常生活不管多麼瑣碎的細節,都一一具備了迄今為止完全不同的魅力。在我身邊散著微溫、發著芳香的存在,她那輕快的呼吸,她那時刻牽著我手的柔柔的手,那微笑,以及那時時發生的平凡對談——即使是這些日子,單純得除去了這些便一無所有,但是,我們所謂的人生,在元素上不過爾爾。而僅如此之微少,卻使我們這般的滿足。我堅信,只是因為這是我和此女子在共同完成它。

それらの日々に於ける唯一の出来事と云えば、彼女がときおり熱を出すこと位だった。それは彼女の体をじりじり衰えさせて行くものにちがいなかった。が、私達はそういう日は、いつもと少しも変らない日課の魅力を、もっと細心に、もっと緩慢に、あたかも禁断の果実の味をこっそり偸みでもするように味わおうと試みたので、私達のいくぶん死の味のする生の幸福はその時は一そう完全に保たれた程だった。
這些日子裡發生的唯一事件,就是她時而發燒的事了。無疑,這會一步步地使她身體衰弱。但是,我們在那些日子裡,會更加細心地、更加緩慢地、宛如偷偷地品嘗禁果味道一般,去嘗試品味那些與往常毫無差異、按部就班的魅力。所以,我們那帶有幾分死亡味道的生之幸福,在那些時候愈發地得到了完整的保護。

そんな或る夕暮、私はバルコンから、そして節子はベッドの上から、同じように、向うの山の背に入って間もない夕日を受けて、そのあたりの山だの丘だの松林だの山畑だのが、半ば鮮かな茜色を帯びながら、半ばまだ不確かなような鼠色に徐々に侵され出しているのを、うっとりとして眺めていた。ときどき思い出したようにその森の上へ小鳥たちが抛物線を描いて飛び上った。――私は、このような初夏の夕暮がほんの一瞬時生じさせている一帯の景色は、すべてはいつも見馴れた道具立てながら、恐らく今を措いてはこれほどの溢れるような幸福の感じをもって私達自身にすら眺め得られないだろうことを考えていた。そしてずっと後になって、いつかこの美しい夕暮が私の心に蘇って来るようなことがあったら、私はこれに私達の幸福そのものの完全な絵を見出すだろうと夢みていた。
一天傍晚,我從陽臺,節子從床上,出神地眺望著對面的山峰、丘陵、松林,田野,在剛剛進入山背的夕陽之下,一半帶著鮮豔的深紅,一半被不斷變化著的暗灰慢慢侵蝕著。小鳥時而突然飛起,在那片森林之上畫拋物線。我想,這樣的初夏黃昏,短短一瞬間誕生的那一帶景色,都是平時司空見慣的道具。如果不是到了如今這一刻,它們甚至就無法給我們自身帶來如此充沛欲溢的幸福感了。於是我幻想著,等到了遙遠的將來,如果在什麼時候,這個美麗的黃昏重歸於我心中,我們就會發現我們幸福本身的完美畫面。

「何をそんなに考えているの?」私の背後から節子がとうとう口を切った。
“你在想啥呢?”節子在我背後終於開了口。

「私達がずっと後になってね、今の私達の生活を思い出すようなことがあったら、それがどんなに美しいだろうと思っていたんだ」
“我在想,到了很久很久以後,如果我們能回憶起我們現在的生活,那該是多麼的美好。”

「本当にそうかも知れないわね」彼女はそう私に同意するのがさも愉しいかのように応じた。
“應該會的!”她是這樣贊同著我的看法,對應著她實實在在的快樂。
それからまた私達はしばらく無言のまま、再び同じ風景に見入っていた。が、そのうちに私は不意になんだか、こうやってうっとりとそれに見入っているのが自分であるような自分でないような、変に茫漠とした、取りとめのない、そしてそれが何んとなく苦しいような感じさえして来た。そのとき私は自分の背後で深い息のようなものを聞いたような気がした。が、それがまた自分のだったような気もされた。私はそれを確かめでもするように、彼女の方を振り向いた。
事後,我們又久久地保持著沉默,凝視著風景。可是,我不知道,為什麼在不經意間感到這樣出神地眺望著景色的自己,不是本來的自己,甚至有一種異樣的迷茫,沒有邊際、而又有幾分苦楚的感覺。這時,我感覺到了好像自己的背後傳來了一聲深深的歎息,卻又感覺這歎息是屬於自己的。我轉向她,似乎要確認這聲歎息。

「そんなにいまの……」そういう私をじっと見返しながら、彼女はすこし嗄れた声で言いかけた。
“你對現在的狀況竟然那麼……”她一動不動地回視著我,用略帶沙啞的聲音小聲說道。

が、それを言いかけたなり、すこし躊躇っていたようだったが、それから急にいままでとは異った打棄るような調子で、「そんなにいつまでも生きて居られたらいいわね」と言い足した。
可是她話音剛落,就顯得遲疑起來,然後突然用與剛才不一樣的語調,努力扭轉印象似的補充道:“要是永遠都這樣活著,那該多好啊!”
「又、そんなことを!」
 私はいかにも焦れったいように小さく叫んだ。
“怎麼又說這種話!?”我好像真的生氣似的小聲喊道。

「御免なさい」彼女はそう短く答えながら私から顔をそむけた。
“對不起。”她這樣簡短地回答著,把臉從我這裡轉開去。

いましがたまでの何か自分にも訣の分らないような気分が私にはだんだん一種の苛ら立たしさに変り出したように見えた。私はそれからもう一度山の方へ目をやったが、その時は既にもうその風景の上に一瞬間生じていた異様な美しさは消え失せていた。
一種直到剛才自己也不知緣由的情緒,似乎正在一點一點的變成一種焦躁。於是,我再一次把目光投向山那邊,但這時在那風景之上,那瞬間產生的異常的美已經消失了。
その晩、私が隣りの側室へ寝に行こうとした時、彼女は私を呼び止めた。
當晚,在我要去隔壁側室睡覺的時候,她叫住了我。

「さっきは御免なさいね」
“剛才真的很對不起!”
「もういいんだよ」
“好啦,好啦。”
「私ね、あのとき他のことを言おうとしていたんだけれど……つい、あんなことを言ってしまったの」
“我呀,當時是想說別的事情的。可是……一不小心,說了那番話。”

「じゃ、あのとき何を言おうとしたんだい?」
“那,當時你想說的是什麼?”

「……あなたはいつか自然なんぞが本当に美しいと思えるのは死んで行こうとする者の眼にだけだと仰しゃったことがあるでしょう。……私、あのときね、それを思い出したの。何んだかあのときの美しさがそんな風に思われて」そう言いながら、彼女は私の顔を何か訴えたいように見つめた。
“……你不是曾經說過嗎?只有在以為將要死去的人眼裡,才會認為自然真美。……我,當時呢,就想起了你這句話。不知道為什麼,我把當時的美景想成這樣……”這樣說著,她凝望著我的臉,目光如訴。
その言葉に胸を衝かれでもしたように、私は思わず目を伏せた。そのとき、突然、私の頭の中を一つの思想がよぎった。そしてさっきから私を苛ら苛らさせていた、何か不確かなような気分が、漸く私の裡ではっきりとしたものになり出した。……
我不由自主地伏下視線,仿佛心頭被這番話撞擊了一樣,這時,我的腦海裡突然閃現一個念頭。於是,從剛才就令我焦躁、含混不清的心情,終於在我心中漸漸清晰起來……

「そうだ、おれはどうしてそいつに気がつかなかったのだろう? あのとき自然なんぞをあんなに美しいと思ったのはおれじゃないのだ。それはおれ達だったのだ。まあ言ってみれば、節子の魂がおれの眼を通して、そしてただおれの流儀で、夢みていただけなのだ。……それだのに、節子が自分の最後の瞬間のことを夢みているとも知らないで、おれはおれで、勝手におれ達の長生きした時のことなんぞ考えていたなんて……」
是啊,我怎麼沒有注意到她呢?那個時候,認為自然那麼美的,不是我,而是我們。噢,換言之,那只是節子的靈魂通過我的眼睛,甚至只是按照我的慣用方式去幻想。……儘管如此,節子也不知道自己在幻想著自己最後的瞬間,我自己竟然在隨意地思考著我們長壽時的事情。……

いつしかそんな考えをとつおいつし出していた私が、漸っと目を上げるまで、彼女はさっきと同じように私をじっと見つめていた。私はその目を避けるような恰好をしながら、彼女の上に跼みかけて、その額にそっと接吻した。私は心から羞かしかった。……
她像剛才一樣,一動不動地凝視著這樣不知不覺地思來想去的我,直到我抬起眼來。我一邊避開那眼神,一邊在她的上方彎下身子,輕輕地吻了她的額頭。我發自內心地感到羞愧。

*

とうとう真夏になった。それは平地でよりも、もっと猛烈な位であった。裏の雑木林では、何かが燃え出しでもしたかのように、蝉がひねもす啼き止まなかった。樹脂のにおいさえ、開け放した窓から漂って来た。夕方になると、戸外で少しでも楽な呼吸をするために、バルコンまでベッドを引き出させる患者達が多かった。それらの患者達を見て、私達ははじめて、この頃俄かにサナトリウムの患者達の増え出したことを知った。しかし、私達は相かわらず誰にも構わずに二人だけの生活を続けていた。

終於,到了盛夏。天氣卻似乎比平地更加酷熱。後面的雜木林裡好像燒著了什麼東西一樣,蟬整天不停地鳴唱。甚至那一直開著的窗戶,也飄來了樹脂的味道。到了傍晚,為了儘量獲得在戶外的輕鬆呼吸,很多患者把床拉出到陽臺。看到這些患者,我們才發現這段日子裡療養院的患者驟然增加了。但是,我們依舊不管任何人,繼續著這只有兩個人的生活。

この頃、節子は暑さのためにすっかり食欲を失い、夜などもよく寝られないことが多いらしかった。私は、彼女の昼寝を守るために、前よりも一層、廊下の足音や、窓から飛びこんでくる蜂や虻などに気を配り出した。そして暑さのために思わず大きくなる私自身の呼吸にも気をもんだりした。
這些日子,由於炎熱,節子完全沒有了食欲,晚上也常常不能安睡。為了守護她的午睡,我比以往更留心走廊裡的腳步聲,還有從窗外飛進來的蜂虻之類。然後,對自己因為炎熱而不自覺地變粗的呼吸,也時而擔憂起來,生怕突然間生氣起來。

そのように病人の枕元で、息をつめながら、彼女の眠っているのを見守っているのは、私にとっても一つの眠りに近いものだった。私は彼女が眠りながら呼吸を速くしたり弛くしたりする変化を苦しいほどはっきりと感じるのだった。私は彼女と心臓の鼓動をさえ共にした。ときどき軽い呼吸困難が彼女を襲うらしかった。そんな時、手をすこし痙攣させながら咽のところまで持って行ってそれを抑えるような手つきをする、――夢に魘われてでもいるのではないかと思って、私が起してやったものかどうかと躊躇っているうち、そんな苦しげな状態はやがて過ぎ、あとに弛緩状態がやって来る。そうすると、私も思わずほっとしながら、いま彼女の息づいている静かな呼吸に自分までが一種の快感さえ覚える。――そうして彼女が目を醒ますと、私はそっと彼女の髪に接吻をしてやる。彼女はまだ倦るそうな目つきで、私を見るのだった。
對我而言,這樣地在節子的枕畔,屏住呼吸守護著她的安睡,也是一種近乎睡眠的狀態。我深切的感受到她安睡中呼吸快慢的變化,我的心臟甚至在和她一起跳動。輕度的呼吸困難,似乎不時襲擊她。這個時候,她的手微微的顫抖著抬到了喉嚨附近,做得仿佛要抑制它的手勢——就在我懷疑她是不是在夢中遭遇夢魘,而猶豫著該不該把她喚醒時,這種痛苦狀態轉眼過去了,鬆弛狀態隨後來臨。於是,我不由自主地松了一口氣,甚至自己都對她現在喘息著的平靜呼吸感到了一種快意。她一醒來,我就輕輕地吻著她的頭髮,她卻用倦意尤存的眼神看著我。

「あなた、そこにいたの?」
“你在這裡?”
「ああ、僕もここで少しうつらうつらしていたんだ」
“啊,我也在這裡迷迷糊糊了好一陣子呢。”

そんな晩など、自分もいつまでも寝つかれずにいるようなことがあると、私はそれが癖にでもなったように、自分でも知らずに、手を咽に近づけながらそれを抑えるような手つきを真似たりしている。そしてそれに気がついたあとで、それからやっと私は本当の呼吸困難を感じたりする。が、それは私にはむしろ快いものでさえあった。
在那些夜晚,當自己怎麼也睡不著的時候,我像成癖了一樣,時而無意識地把手靠近喉嚨,模仿著試圖抑制它的手勢。而當自己發覺了之後,才終於感到自己真的呼吸困難。但是那對於我而言,甚至反而是令人愉悅的。
「この頃なんだかお顔色が悪いようよ」或る日、彼女はいつもよりしげしげと見ながら言うのだった。「どうかなすったのじゃない?」
“這陣子,怎麼你的臉色好像很難看?”一天,她比平日裡更加深切地看著我說。“究竟發生了什麼事?”

「なんでもないよ」そう言われるのは私の気に入った。「僕はいつだってこうじゃないか?」

 “啥事都沒有。”我很高興地說,“我不總是這樣嗎?”

「あんまり病人の側にばかりいないで、少しは散歩くらいなすっていらっしゃらない?」
“拜託,不要總是呆在我這病人身邊,能不能稍微出去走走?”
「この暑いのに、散歩なんか出来るもんか。……夜は夜で、真っ暗だしさ。……それに毎日、病院の中をずいぶん往ったり来たりしているんだからなあ」
“這麼熱,哪還能出得去?這裡一入夜就黑成一片……而且,我每天在醫院裡也沒少跑來跑去啊。”

私はそんな会話をそれ以上にすすめないために、毎日廊下などで出逢ったりする、他の患者達の話を持ち出すのだった。よくバルコンの縁に一塊りになりながら、空を競馬場に、動いている雲をいろいろそれに似た動物に見立て合ったりしている年少の患者達のことや、いつも附添看護婦の腕にすがって、あてもなしに廊下を往復している、ひどい神経衰弱の、無気味なくらい背の高い患者のことなどを話して聞かせたりした。しかし、私はまだ一度もその顔は見たことがないが、いつもその部屋の前を通る度ごとに、気味のわるい、なんだかぞっとするような咳を耳にする例の第十七号室の患者のことだけは、つとめて避けるようにしていた。恐らくそれがこのサナトリウム中で、一番重症の患者なのだろうと思いながら。……
為了不讓這樣的交談再進行下去,我常常會提起每天在走廊等處遇到的其他患者的事情:我和少年患者們,總是在陽臺邊上聚成一堆,把天空比作賽馬場、把流雲比作各種各樣形態相像的動物;我總是扶著隨同護士的手臂漫無目的地走來走去;我遇到過一個有著嚴重神經衰弱、個子高的令人生畏的患者……這些事情,我都說給她聽。但是,只有那個我一次也沒有見過、每次從那房間前面經過時都會從心裡感到不舒服、聽到毛骨悚然的咳聲的17號病房患者的事情,我都極力地避開了。我想大概那就是這個療養院中最嚴重的患者吧……

 八月も漸く末近くなったのに、まだずっと寝苦しいような晩が続いていた。そんな或る晩、私達がなかなか寝つかれずにいると、(もうとっくに就眠時間の九時は過ぎていた。……)ずっと向うの下の病棟が何んとなく騒々しくなり出した。それにときどき廊下を小走りにして行くような足音や、抑えつけたような看護婦の小さな叫びや、器具の鋭くぶつかる音がまじった。私はしばらく不安そうに耳を傾けていた。それがやっと鎮まったかと思うと、それとそっくりな沈黙のざわめきが、殆ど同時に、あっちの病棟にもこっちの病棟にも起り出した、そしてしまいには私達のすぐ下の方からも聞えて来た。
終於到了八月末,但晚上還是一直難以安睡。一個這樣的夜晚,我們怎麼也睡不著(已經早就過了就寢時間的九點鐘……)。遠處對面下邊的病房不知道為什麼突然騷動起來。而且,混雜著不時小跑通過走廊的腳步聲、護士壓低了的喊叫聲、器具碰撞的尖銳響聲。我不安地傾聽了許久。剛以為那騷動終於沉寂下來,卻在各個住院樓裡幾乎同時傳來了幾句相似的、沉默中的嘈雜聲,而後最終在我們的最下面也傳來了嘈雜聲。

私は、今、サナトリウムの中を嵐のように暴れ廻っているものの何んであるかぐらいは知っていた。私はその間に何度も耳をそば立てては、さっきからあかりは消してあるものの、まだ同じように寝つかれずにいるらしい隣室の病人の様子を窺った。病人は寝返りさえ打たずに、じっとしているらしかった。私も息苦しいほどじっとしながら、そんな嵐がひとりでに衰えて来るのを待ち続けていた。
我知道現在療養院裡暴風雨般的到處肆虐的東西大體上是怎麼回事了。在這期間,我不止一次地豎起耳朵,窺探著剛才就關了燈但似乎同樣不能入睡的隔壁節子的動靜。節子好像連一個翻身都沒有,老老實實地呆著,我也近乎窒息地靜靜呆著,繼續等待那風暴自己平息下來。
真夜中になってからやっとそれが衰え出すように見えたので、私は思わずほっとしながら少し微睡みかけたが、突然、隣室で病人がそれまで無理に抑えつけていたような神経的な咳を二つ三つ強くしたので、ふいと目を覚ました。そのまますぐその咳は止まったようだったが、私はどうも気になってならなかったので、そっと隣室にはいって行った。真っ暗な中に、病人は一人で怯えてでもいたように、大きく目を見ひらきながら、私の方を見ていた。私は何も言わずに、その側に近づいた。
到了半夜,那風暴似乎終於平息下來。我不由自主地松了一口氣。剛剛打了一個盹兒,卻突然由於隔壁節子一直努力壓抑著幾聲強烈的神經性咳嗽而醒來。那咳嗽聲似乎馬上就停下來了。但我卻無論如何也放心不下,就悄悄地走進隔壁。漆黑之中,節子獨自恐懼地睜大著眼睛,看著我。我什麼也沒說,走近她身旁。

「まだ大丈夫よ」彼女はつとめて微笑をしながら、私に聞えるか聞えない位の低声で言った。私は黙ったまま、ベッドの縁に腰をかけた。
“沒關係的。”她努力微笑著,用介乎我聽見和聽不見的低低的聲音說。我依然沉默,坐到床邊。

「そこにいて頂戴」病人はいつもに似ず、気弱そうに、私にそう言った。私達はそうしたまままんじりともしないでその夜を明かした。
“請你留在這裡。”節子異乎平常地膽怯地對我說道。我們就這樣,一個瞌睡也沒打,熬到天明。

そんなことがあってから、二三日すると、急に夏が衰え出した。
這種事情發生後不到兩三天,夏天就匆匆地敗落了。


*

九月になると、すこし荒れ模様の雨が何度となく降ったり止んだりしていたが、そのうちにそれは殆んど小止みなしに降り続き出した。それは木の葉を黄ばませるより先きに、それを腐らせるかと見えた。さしものサナトリウムの部屋部屋も、毎日窓を閉め切って、薄暗いほどだった。風がときどき戸をばたつかせた。そして裏の雑木林から、単調な、重くるしい音を引きもぎった。風のない日は、私達は終日、雨が屋根づたいにバルコンの上に落ちるのを聞いていた。そんな雨が漸っと霧に似だした或る早朝、私は窓から、バルコンの面している細長い中庭がいくぶん薄明くなって来たようなのをぼんやりと見おろしていた。その時、中庭の向うの方から、一人の看護婦が、そんな霧のような雨の中をそこここに咲き乱れている野菊やコスモスを手あたり次第に採りながら、こっちへ向って近づいて来るのが見えた。私はそれがあの第十七号室の附添看護婦であることを認めた。
到了九月,近乎暴雨的大雨下了又停、停了又下,隨後又幾乎不停地連續下了起來,仿佛要在催黃樹葉前先讓他們爛掉。連療養院的各個房間都每天關著窗戶,一片昏暗。而從背後的雜木林裡,發出了單調、沉重的聲音。在沒有風的日子裡,我們終日聽著雨滴沿著屋頂落到陽臺上。在一個早晨裡,這雨終於開始變得像霧一樣的了。我透過窗戶,茫然地俯視著陽臺對面狹長的庭院。庭院漸漸地明亮了起來。這時,我看見,從院落對面,一個護士在這如霧的細雨中,一邊隨手採摘到處盛開的野菊和雛菊,一邊向這邊走來。我認得她是那個17號病房的隨同護士。

「ああ、あのいつも不快な咳ばかり聞いていた患者が死んだのかも知れないなあ」ふとそんなことを思いながら、雨に濡れたまま何んだか興奮したようになってまだ花を採っているその看護婦の姿を見つめているうちに、私は急に心臓がしめつけられるような気がしだした。「やっぱり此処で一番重かったのはあいつだったのかな? が、あいつがとうとう死んでしまったとすると、こんどは? ……ああ、あんなことを院長が言ってくれなければよかったんだに……」
“啊!那個總是咳得讓人難受的病人,大概已經死了!”我猛然想到了這些。我注視著那護士的身影,她被雨打濕了卻不知道為什麼還興奮地摘著花兒。我感到心臟無意中猛地收縮了一下。“這醫院裡病得最嚴重的還是那個人嗎?假如那個人真的死掉了,那麼下一個會是誰呢?……啊,要是院長不告訴我這些事情就好了。”

私はその看護婦が大きな花束を抱えたままバルコンの蔭に隠れてしまってからも、うつけたように窓硝子に顔をくっつけていた。
那護士抱著大把花束消失在陽臺底下之後,我仍然失神地把臉貼在窗玻璃上。
「何をそんなに見ていらっしゃるの?」ベッドから病人が私に問うた。
“在看啥呢?”節子從床上對我問道。

「こんな雨の中で、さっきから花を採っている看護婦がいるんだけれど、あれは誰だろうかしら?」
“剛才下雨了,有個護士卻還在採花兒,她是誰呢?”
私はそう独り言のようにつぶやきながら、やっとその窓から離れた。
我這樣自言自語的嘟囔著,終於離開了那扇窗戶。

しかし、その日はとうとう一日中、私はなんだか病人の顔をまともに見られずにいた。何もかも見抜いていながら、わざと知らぬような様子をして、ときどき私の方をじっと病人が見ているような気さえされて、それが私を一層苦しめた。
而那一天我不知道為什麼,到底還是沒有正面看節子的臉。我甚至覺得,節子已經看穿了一切,但故意裝出不知道的樣子,時常一動不動地看著我這邊。這使我更加痛苦。

こんな風にお互に分たれない不安や恐怖を抱きはじめて、二人が二人で少しずつ別々にものを考え出すなんて云うことは、いけないことだと思い返しては、私は早くこんな出来事は忘れてしまおうと努めながら、又いつのまにやらその事ばかりを頭に浮べていた。そしてしまいには、私達がこのサナトリウムに初めて着いた雪のふる晩に病人が見たという夢、はじめはそれを聞くまいとしながら遂に打ち負けて病人からそれを聞き出してしまったあの不吉な夢のことまで、いままでずっと忘れていたのに、ひょっくり思い浮べたりしていた。
反思到兩個人就這樣開始分別懷著不安和恐懼,一點點地開始各自思考不同的東西,那是絕對不行的。我努力去儘快忘記這件事,而與此同時,卻又不自覺地盡想著這種事。結果,我甚至想起了那個下雪的晚上,我們最初抵達療養院時,節子做的那個夢。最初我不想聽,但是終於還是向節子打聽了這個不可思議的夢。雖然迄今為止,我努力地去忘記這個夢,但現在卻突然浮現在腦海裡了。


――その不思議な夢の中で、病人は死骸になって棺の中に臥ていた。人々はその棺を担いながら、何処だか知らない野原を横切ったり、森の中へはいったりした。もう死んでいる彼女はしかし、棺の中から、すっかり冬枯れた野面や、黒い樅の木などをありありと見たり、その上をさびしく吹いて過ぎる風の音を耳に聞いたりしていた、……その夢から醒めてからも、彼女は自分の耳がとても冷たくて、樅のざわめきがまだそれを充たしているのをまざまざと感じていた。……
——在那個不可思議的夢裡,節子變成了屍體,躺在棺材之中。人們扛著那口棺材,時而橫穿不知何處的原野,時而進入森林。她雖然已經死去,但在棺材中清清楚楚地看到了冬季蕭疏的地表,聽到了地上寂寞吹過的風聲。……從那個夢裡醒來之後,她還清清楚楚地感覺到自己的耳朵特別的冷,樅樹的嘈雜聲響還充盈其中。……

そんな霧のような雨がなお数日降り続いているうちに、すでにもう他の季節になっていた。サナトリウムの中も、気がついて見ると、あれだけ多数になっていた患者達も一人去り二人去りして、そのあとにはこの冬をこちらで越さなければならないような重い患者達ばかりが取り残され、又、夏の前のような寂しさに変り出していた。第十七号室の患者の死がそれを急に目立たせた。
這種如霧的細雨又連續下了幾天。不知不覺中,季節已經轉換。療養院中也是,忽然發覺那麼多的患者也一個接一個地離開,只剩下必須在這裡度過冬天的重患者。療養院也變回了夏天的沉寂。第17號病房患者的死,一下子變得引人注目了。

九月の末の或る朝、私が廊下の北側の窓から何気なしに裏の雑木林の方へ目をやって見ると、その霧ぶかい林の中にいつになく人が出たり入ったりしているのが異様に感じられた。看護婦達に訊いて見ても何も知らないような様子をしていた。それっきり私もつい忘れていたが、翌日もまた、早朝から二三人の人夫が来て、その丘の縁にある栗の木らしいものを伐り倒しはじめているのが霧の中に見えたり隠れたりしていた。
九月末的一個早晨,我無意間從走廊的北側窗戶,朝背後的雜木林的方向看去,感到有些異樣。濃霧下的樹林裡,有人出出入入,這是平常所沒有的。我問護士們,他們也是一臉茫然的樣子。以後,我也不知不覺地忘卻了。但是第二天還是如此,從早晨開始就來兩三個人,在霧中時隱時現地砍伐著山丘邊上,好像是栗樹的東西。

その日、私は患者達がまだ誰も知らずにいるらしいその前日の出来事を、ふとしたことから聞き知った。それはなんでも、例の気味のわるい神経衰弱の患者がその林の中で縊死していたと云う話だった。そう云えば、どうかすると日に何度も見かけた、あの附添看護婦の腕にすがって廊下を往ったり来たりしていた大きな男が、昨日から急に姿を消してしまっていることに気がついた。
那天,我偶然從患者們口中,打聽到了前幾天還不為人知的事情。據說是那個感覺不舒服的、神經衰弱的患者,在那片林子裡上吊死了。這樣一說我才發覺,那個扶著隨同護士在走廊裡走來走去的大個子男人,那個每天我都看見幾次的人,他從昨天開始突然消失了。

「あの男の番だったのか……」
“原來輪到那個人了……”

第十七号室の患者が死んでからというものすっかり神経質になっていた私は、それからまだ一週間と立たないうちに引き続いて起ったそんな思いがけない死のために、思わずほっとしたような気持になった。そしてそれは、そんな陰惨な死から当然私が受けたにちがいない気味悪さすら、私にはそのために殆んど感ぜられずにしまったと云っていいほどであった。
自從因為17號病房患者死去而變得神經質的我,由於不到一周之內就發生了出乎預料的死亡,我不由得松了一口氣。甚至可以說,就連我必將理所當然地從這種悲慘的死中感受到的不安的心情,也因此而幾乎感覺不到了。

「こないだ死んだ奴の次ぎ位に悪いと言われていたって、何も死ぬと決まっているわけのものじゃないんだからなあ」私はそう気軽そうに自分に向って言って聞かせたりした。
“雖然說她的病情僅次於前一陣子死去那個的傢伙,但也不是什麼都註定要死的啊。”我這樣輕鬆地對自己說。

裏の林の中の栗の木が二三本ばかり伐り取られて、何んだか間の抜けたようになってしまった跡は、今度はその丘の縁を、引きつづき人夫達が切り崩し出し、そこからすこし急な傾斜で下がっている病棟の北側に沿った少しばかりの空地にその土を運んでは、そこいら一帯を緩やかななぞえにしはじめていた。人はそこを花壇に変える仕事に取りかかっているのだ。
背後樹林裡的栗樹,只被伐掉了兩三棵,那塊伐木 “遺址”的中間,被無緣無故地弄走了。院工們把那山丘的邊緣挖塌,把土運到從那裡向下、坡面略陡的住院樓北側邊上的些許空地,使那一帶變成平緩一些的斜坡。人們正在把那裡改成花壇。

*

「お父さんからお手紙だよ」
“你爸來信了!”

私は看護婦から渡された一束の手紙の中から、その一つを節子に渡した。彼女はベッドに寝たままそれを受取ると、急に少女らしく目を赫かせながら、それを読み出した。
我從護士送來的一堆信中,拿出一封交給節子。她依舊躺在床上,接到信後,眼裡發出少女的光芒,開始讀了起來。

「あら、お父様がいらっしゃるんですって」
“哎呀!爸爸說他要來。”

旅行中の父は、その帰途を利用して近いうちにサナトリウムへ立ち寄るということを書いて寄こしたのだった。
正在旅行的節子父親在信裡寫道:“近幾天就回家順便到療養院來。”他就這樣把信郵來了。

それは或る十月のよく晴れた、しかし風のすこし強い日だった。近頃、寝たきりだったので食欲が衰え、やや痩せの目立つようになった節子は、その日からつとめて食事をし、ときどきベッドの上に起きていたり、腰かけたりしだした。彼女はまたときどき思い出し笑いのようなものを顔の上に漂わせた。私はそれに彼女がいつも父の前でのみ浮べる少女らしい微笑の下描きのようなものを認めた。私はそういう彼女のするがままにさせていた。
那一天是十月裡的一個晴朗、但是風比較大的日子。近幾天,節子由於一直臥床,食欲消退,明顯消瘦了一些。從這一天開始,她儘量地吃飯,時而在床上起來,時而坐一會兒。她還時常在臉上浮現出回憶帶來的甜蜜微笑。我認為,這少女般的微笑,是她所做出的預演,為了快點見到曾經總伴在自己身邊的父親。我沒有打擾這種狀態下她所做的一切。

それから数日立った或る午後、彼女の父はやって来た。
又過了幾天。在一個下午,她的父親終於來了。

彼はいくぶん前よりか顔にも老を見せていたが、それよりももっと目立つほど背中を屈めるようにしていた。それが何んとはなしに病院の空気を彼が恐れでもしているような様子に見せた。そうして病室へはいるなり、彼はいつも私の坐りつけている病人の枕元に腰を下ろした。ここ数日、すこし身体を動かし過ぎたせいか、昨日の夕方いくらか熱を出し、医者の云いつけで、彼女はその期待も空しく、朝からずっと安静を命じられていた。
他臉上看上去比過去老了幾分,而他脊背的彎曲更加醒目。這不禁讓我覺得,他對醫院的氛圍有些恐懼。就這樣,他一進到病房,就坐在我平常坐著的節子的枕畔。或許是因為這幾天身體活動得有些過度,節子昨天傍晚有些發燒,按照醫囑,儘管她內心十分期待,也不得不遵從命令從早晨起靜養。

殆んどもう病人は癒りかけているものと思い込んでいたらしいのに、まだそうして寝たきりでいるのを見て、父はすこし不安そうな様子だった。そしてその原因を調べでもするかのように、病室の中を仔細に見廻したり、看護婦達の一々の動作を見守ったり、それからバルコンにまで出て行って見たりしていたが、それらはいずれも彼を満足させたらしかった。そのうちに病人がだんだん興奮よりも熱のせいで頬を薔薇色にさせ出したのを見ると、「しかし顔色はとてもいい」と、娘が何処か良くなっていることを自分自身に納得させたいかのように、そればかり繰り返していた。
父親似乎確信節子幾乎要痊癒了,而看到她還是那樣只是躺著,便顯出有些不安的樣子。於是,就像要考察一下其中緣由一樣,父親仔細地環視了整個病房,守望著護士們的每一個動作,還到陽臺上看了又看,而這一切似乎都能令他滿意。其間,父親看到節子的臉頰漸漸的變紅——其實是因為發燒,而並非緣於興奮,就不斷的重複著說這麼一句話:“可是呢,臉色還是非常好的。”仿佛要借此讓自己相信女兒有所好轉。

私はそれから用事を口実にして病室を出て行き、彼等を二人きりにさせて置いた。やがてしばらくしてから、再びはいって行って見ると、病人はベッドの上に起き直っていた。そして掛布の上に、父のもってきた菓子函や他の紙包を一ぱいに拡げていた。それは少女時代彼女の好きだった、そして今でも好きだと父の思っているようなものばかりらしかった。私を見ると、彼女はまるで悪戯を見つけられた少女のように、顔を赧くしながら、それを片づけ、すぐ横になった。
之後,我藉口有事離開病房,只留下他們兩個人。過了一段時間之後,我再走進病房一看,節子又在病床上坐了起來。而蓋著的床單上,滿滿地鋪著父親帶來的點心盒子和其他的紙包。那些都是她少女時候喜歡、而父親認為她如今依然喜歡的東西。她一看到我,就像一個被發現做了惡作劇的女孩子一樣,紅著臉龐,收拾起東西,馬上就躺下了。

私はいくぶん気づまりになりながら、二人からすこし離れて、窓ぎわの椅子に腰かけた。二人は、私のために中断されたらしい話の続きを、さっきよりも低声で、続け出した。それは私の知らない馴染みの人々や事柄に関するものが多かった。そのうちの或る物は、彼女に、私の知り得ないような小さな感動をさえ与えているらしかった。
我變得有幾分拘束起來,在距離兩人稍遠一些的窗邊的椅子上坐下。兩個人接著剛才好像是被我打斷了的話頭,用比剛才更低的聲音,繼續說了起來。那些人和事,大多數是我陌生的、而他們所熟知的,好像其中的某件事,甚至給了她我所不能理解的小小感動。
私は二人のさも愉しげな対話を何かそういう絵でも見ているかのように、見較べていた。そしてそんな会話の間に父に示す彼女の表情や抑揚のうちに、何か非常に少女らしい輝きが蘇るのを私は認めた。そしてそんな彼女の子供らしい幸福の様子が、私に、私の知らない彼女の少女時代のことを夢みさせていた。……
我像觀賞一幅畫一樣,用心觀察著兩個人這著實愉快的交談。於是,我發現,在交談中她對父親顯示出的表情和語調頓挫之中,一種極其純真的少女光彩重又出現。而她這種孩子般的幸福模樣,讓我想起她不為我所知的少女時代。……
ちょっとの間、私達が二人きりになった時、私は彼女に近づいて、揶揄うように耳打ちした。
「お前は今日はなんだか見知らない薔薇色の少女みたいだよ」
有一段時間,只剩下我們兩個人的時候,我靠近她,開玩笑似地耳語說:“你今天怎麼這麼像一個我從來沒見過的薔薇色女孩啊!”

「知らないわ」彼女はまるで小娘のように顔を両手で隠した。
“我也不知道啊!”她完全像一個小女孩一樣,用雙手遮住了臉。


*

父は二日滞在して行った。
節子的父親留了兩天就走了。

出発する前、父は私を案内役にして、サナトリウムのまわりを歩いた。が、それは私と二人きりで話すのが目的だった。空には雲ひとつない位に晴れ切った日だった。いつになくくっきりと赭ちゃけた山肌を見せている八ヶ岳などを私が指して示しても、父はそれにはちょっと目を上げるきりで、熱心に話をつづけていた。
出發前,節子的父親讓我做嚮導,在療養院周圍轉了轉。但是,他的目的還是在於跟我單獨談談。這是一個晴空萬里的日子,天空中幾乎沒有一絲雲彩。八嶽山以異乎尋常的鮮明展示著褐色的山壁。節子的父親只顧著專心地喋喋不休,即使我指給他看那些山巒,他也只是抬了一下眼睛。

「ここはどうもあれの身体には向かないのではないだろうか? もう半年以上にもなるのだから、もうすこし良くなっていそうなものだが……」
“這樣的環境,節子的身體能消受得了嗎?雖然說已經過了半年有多了,但看樣子,還需要再過一段時間,情況才能好轉……”
「さあ、今年の夏は何処も気候が悪かったのではないでしょうか? それにこういう山の療養所なんぞは冬がいいのだと云いますが……」
“這樣啊……今年夏天各地氣候都不大好啊!而且據說在這種山裡的療養院之類的地方,冬天才是最好的季節。”
「それは冬まで辛抱して居られればいいのかも知れんが……しかしあれには冬まで我慢できまい……」
“那她要是能夠挺到冬天,也許還可以……但是看她那個樣子,也許不能堅持到冬天了……”
「しかし自分では冬もいる気でいるようですよ」
“但是她很希望能夠堅持到冬天,這是她的想法。”

私はこういう山の孤独がどんなに私達の幸福を育んでいてくれるかと云うことを、どうしたら父に理解させられるだろうかともどかしがりながら、しかしそういう私達のために父の払っている犠牲のことを思えば何んともそれを言い出しかねて、私達のちぐはぐな対話を続けていた。
我焦慮於該怎樣才能讓節子的父親理解:這座山的孤獨,是怎樣的孕育了我們的幸福。但我想到節子父親為了我們所做出的犧牲,實在讓我難以啟齒,就只好延續著我們這並不協調的對話。

「まあ、折角山へ来たのですから、居られるだけ居て見るようになさいませんか?」
“嗯……好不容易才來到山裡,所以能不能就讓我們能住多久就住多久?”
「……だが、あなたも冬迄一緒にいて下されるのか?」
“……可是,你也一直陪她到冬天嗎?”

「ええ、勿論居ますとも」
“嗯。這是理所當然的,我必須要在。”
「それはあなたには本当にすまんな。……だが、あなたは、いま仕事はしておられるのか?」
“那就實在對不起你了……但你現在還在工作嗎?”
「いいえ……」
“沒有……”
「しかし、あなたも病人にばかり構っておらずに、仕事も少しはなさらなければいけないね」
“那你也不要總是圍著節子轉,工作也必須要做一些。”

「ええ、これから少し……」と私は口籠るように言った。「そうだ、おれは随分長いことおれの仕事を打棄らかしていたなあ。なんとかして今のうちに仕事もし出さなけれあいけない」
“嗯,以後會做一些……”我吞吞吐吐地說,“沒錯,我已經放棄自己的工作太久了,現在就必須想想辦法如何開始工作。”

そんなことまで考え出しながら、何かしら私は気持が一ぱいになって来た。それから私達はしばらく無言のまま、丘の上に佇みながら、いつのまにか西の方から中空にずんずん拡がり出した無数の鱗のような雲をじっと見上げていた。
想到這些,我不由得振奮起來。此後,我們久久無語,佇立在山丘之上,一動不動地仰望天空。天空中,無數鱗狀的雲,不知何時已從西邊漸漸延展到中天。

やがて私達はもうすっかり木の葉の黄ばんだ雑木林の中を通り抜けて、裏手から病院へ帰って行った。その日も、人夫が二三人で、例の丘を切り崩していた。その傍を通り過ぎながら、私は「何んでもここへ花壇をこしらえるんだそうですよ」といかにも何気なさそうに言ったきりだった。
過了一會,我們穿過樹葉已經完全變黃的雜木林,從背後回到醫院。那一天,兩三個醫院職工仍在挖土丘,從那旁邊走過的時候,我只是若無其事地說了一句:“聽說這裡好像要建一個花壇。”

夕方停車場まで父を見送りに行って、私が帰って来て見ると、病人はベッドの中で身体を横向きにしながら、激しい咳にむせっていた。こんなに激しい咳はこれまで一度もしたことはないくらいだった。その発作がすこし鎮まるのを待ちながら、私が、
「どうしたんだい?」と訊ねると、
傍晚,我到停車場送別節子父親。回來的時候,節子一看到我,就在床上側過身子,劇烈的咳嗽使她喘不過氣來。這麼劇烈的咳嗽,以前從來就沒有過。等咳嗽不再那麼劇烈的時候,我問道:“怎麼啦?”
「なんでもないの。……じき止まるわ」病人はそれだけやっと答えた。「その水を頂戴」
“沒什麼……很快就會好的了。”節子只是費力地回答了我。“把水給我……”

私はフラスコからコップに水をすこし注いで、それを彼女の口に持って行ってやった。彼女はそれを一口飲むと、しばらく平静にしていたが、そんな状態は短い間に過ぎ、又も、さっきよりも激しい位の発作が彼女を襲った。私は殆んどベッドの端までのり出して身もだえしている彼女をどうしようもなく、ただこう訊いたばかりだった。
我從長頸瓶往杯子裡倒些水,把它拿到節子嘴邊。她把水一飲而盡,過一會兒就平靜下來。但是這種狀態只過了一段很短的時間。比剛才還要劇烈的咳嗽再次向她襲來。我看著她身體掙扎著,幾乎要伸到床外,而我卻束手無策,只是一個勁的問:

「看護婦を呼ぼうか?」
「…………」
“要喊護士過來嗎?”
“……”

彼女はその発作が鎮まっても、いつまでも苦しそうに身体をねじらせたまま、両手で顔を蔽いながら、ただ頷いて見せた。
她的咳嗽雖然鎮定了下來,但她依然痛苦地扭動著身體,用雙手掩著面龐,只是點頭示意。

私は看護婦を呼びに行った。そして私に構わず先きに走っていった看護婦のすこし後から病室へはいって行くと、病人はその看護婦に両手で支えられるようにしながら、いくぶん楽そうな姿勢に返っていた。が、彼女はうつけたようにぼんやりと目を見ひらいているきりだった。咳の発作は一時止まったらしかった。
我去叫護士。護士撇開我,搶先跑去。我跟在護士後面,走進病房。節子正被護士從後面用雙手架住,回到略微舒服的姿勢上去。但她好像沒有了精神,就是漠然地睜開眼睛,咳嗽的發作好像暫時停了下來。

看護婦は彼女を支えていた手を少しずつ放しながら、
「もう止まったわね。……すこうし、そのままじっとしていらっしゃいね」と言って、乱れた毛布などを直したりしはじめた。「いま注射を頼んで来て上げるわ」
護士的一點點地放開架住她的手,說:“已經不咳了……請她稍微的,就這樣老老實實地呆著吧……”隨後開始整理弄亂了的毛毯。“我這就去給你們找人打針。”

看護婦は部屋を出て行きながら、何処にいていいか分らなくなってドアのところに棒立ちに立っていた私に、ちょっと耳打ちした。「すこし血痰を出してよ」
護士一邊往病房外走,一邊對不知所措呆立在門旁的我耳語了一下:“出了一點血痰。”

私はやっと彼女の枕元に近づいて行った。
我這才走進她的枕前。

彼女はぼんやりと目は見ひらいていたが、なんだか眠っているとしか思えなかった。私はその蒼ざめた額にほつれた小さな渦を巻いている髪を掻き上げてやりながら、その冷たく汗ばんだ額を私の手でそっと撫でた。彼女はやっと私の温かい存在をそれに感じでもしたかのように、ちらっと謎のような微笑を脣に漂わせた。
她漠然地睜開眼,但不知為什麼卻只令人覺得她在睡覺。我一邊為她向上梳理她蒼白的額頭上那散亂著的、卷著小旋渦的頭髮,一邊用手輕輕撫摸那冷冰冰汗津津的額頭。她似乎終於感到了我溫暖的存在,微微地在唇上漂起醉人的微笑。

*

絶対安静の日々が続いた。
絕對安靜的日子還在繼續。

病室の窓はすっかり黄色い日覆を卸され、中は薄闇くされていた。看護婦達も足を爪立てて歩いた。私は殆んど病人の枕元に附きっきりでいた。夜伽も一人で引き受けていた。ときどき病人は私の方を見て何か言い出しそうにした。私はそれを言わせないように、すぐ指を私の口にあてた。
病房的窗戶全部被罩上黃色的遮陽板,房間裡變得微暗。護士們也踮著腳尖走路。我幾乎就拴在節子的枕前,連夜裡的護理也獨自承擔了下來。節子時而看著我,似乎想說些什麼,而我馬上把手指放在嘴上,不讓她說。

そのような沈黙が、私達をそれぞれ各自の考えの裡に引っ込ませていた。が、私達はただ相手が何を考えているのかを、痛いほどはっきりと感じ合っていた。そして私が、今度の出来事をあたかも自分のために病人が犠牲にしていてくれたものが、ただ目に見えるものに変っただけかのように思いつめている間、病人はまた病人で、これまで二人してあんなにも細心に細心にと育て上げてきたものを自分の軽はずみから一瞬に打ち壊してしまいでもしたように悔いているらしいのが、はっきりと私に感じられた。
這樣的沉默,把我們拉進各自的思索之中。但是,我們都能互相非常痛切地感受到對方在想什麼。我沉思於這次的事情,完全是節子為我所做的犧牲,而只是變成了可以眼見的成果;與此同時,我清清楚楚地感受到節子,從她的角度,似乎在後悔,因為自己的輕率,而在一瞬間,打破了我們二人至今為止那麼細心而又細心地培育起來的成果。

そしてそういう自分の犠牲を犠牲ともしないで、自分の軽はずみなことばかりを責めているように見える病人のいじらしい気持が、私の心をしめつけていた。そういう犠牲をまで病人に当然の代償のように払わせながら、それがいつ死の床になるかも知れぬようなベッドで、こうして病人と共に愉しむようにして味わっている生の快楽――それこそ私達を、この上なく幸福にさせてくれるものだと私達が信じているもの、――それは果して私達を本当に満足させ了せるものだろうか? 私達がいま私達の幸福だと思っているものは、私達がそれを信じているよりは、もっと束の間のもの、もっと気まぐれに近いようなものではないだろうか? ……
而節子這種不以自己的犧牲為犧牲,卻只管責備自己輕率的感人之情,令我揪心。一邊讓節子像理所當然的代價一樣,作出那樣的犧牲;一邊就這樣,在那某時或將成為死的溫床的病床上,和節子一起樂的品味這生的快樂——那正是我們堅信能夠給我們帶來無上幸福的東西——那到底能不能真正讓我們徹底地滿足呢?它除卻我們的堅信,難道不更加是曇花一現的嗎?不更加是近乎變化莫測的嗎?

夜伽に疲れた私は、病人の微睡んでいる傍で、そんな考えをとつおいつしながら、この頃ともすれば私達の幸福が何物かに脅かされがちなのを、不安そうに感じていた。
夜裡看護得累了,我在淺睡著的節子身旁,反反復複的思索這些問題。同時,我不安地感覺到,也許就在現在,我們的幸福已經在被經常性地受到了威脅。
その危機は、しかし、一週間ばかりで立ち退いた。
這場危機,卻只過了一周就退去了。

或る朝、看護婦がやっと病室から日覆を取り除けて、窓の一部を開け放して行った。窓から射し込んで来る秋らしい日光をまぶしそうにしながら、
「気持がいいわ」と病人はベッドの中から蘇ったように言った。
一天早晨,護士終於從病房去除了遮陽板,打開了窗戶,然後離開。感受著窗外射來的秋天陽光的炫目,節子在床上如獲重生般地說道:“真舒服啊。”

彼女の枕元で新聞を拡げていた私は、人間に大きな衝動を与える出来事なんぞと云うものは却ってそれが過ぎ去った跡は何んだかまるで他所の事のように見えるものだなあと思いながら、そういう彼女の方をちらりと見やって、思わず揶揄するような調子で言った。

我在她的枕畔翻看著報紙,一邊感歎:予人重擊的事情,反而在消去的時候,無影無蹤,竟如隔世;一邊瞥了一眼如此這般的她,不禁用略帶揶揄的語調說道:

「もうお父さんが来たって、あんなに興奮しない方がいいよ」
“下次你爸爸來了,就不要這麼興奮了。”
彼女は顔を心持ち赧らめながら、そんな私の揶揄を素直に受け入れた。
她微微漲紅了臉,老老實實的接受了我的揶揄。
「こんどはお父様がいらっしたって知らん顔をしていてやるわ」
“下次爸爸再來,就裝作啥都不知道的樣子。”
「それがお前に出来るんならねえ……」
“那是最好不過的了……”

そんな風に冗談でも言い合うように、私達はお互に相手の気持をいたわり合うようにしながら、一緒になって子供らしく、すべての責任を彼女の父に押しつけ合ったりした。
就這樣,我們互相開玩笑一般地,一邊用互相撫慰著對方的心情,一邊一起孩子氣的把所有的責任推在了她爸爸身上。

そうして私達は少しもわざとらしくなく、この一週間の出来事がほんの何かの間違いに過ぎなかったような、気軽な気分になりながら、いましがたまで私達を肉体的ばかりでなく、精神的にも襲いかかっているように見えた危機を、事もなげに切り抜け出していた。少くとも私達にはそう見えた。……
於是,我們的心情自然而然地輕鬆了起來,仿佛這一周內所發生的一切,只不過是某種失誤。同時,若無其事地拋開了剛剛還看起來正在向我們的肉體乃至於精神襲來的危機。至少,在我們看來,無疑是這樣的。
或る晩、私は彼女の側で本を読んでいるうち、突然、それを閉じて、窓のところに行き、しばらく考え深そうに佇んでいた。それから又、彼女の傍に帰った。私は再び本を取り上げて、それを読み出した。
一天晚上,我正在她旁邊讀書。突然,我合上書,走到視窗,佇立著沉思了一會兒。然後,又回到她的身邊。我再次拿起書,開始讀了起來。

「どうしたの?」彼女は顔を上げながら私に問うた。
“怎麼了?她揚起臉向我問道。
「何んでもない」私は無造作にそう答えて、数秒時本の方に気をとられているような様子をしていたが、とうとう私は口を切った。
“沒什麼。”我漫不經心的回答。我裝作被書的內容所吸引住了,但過了幾秒鐘,終於開口說:
「こっちへ来てあんまり何もせずにしまったから、僕はこれから仕事でもしようかと考え出しているのさ」
“我到這裡來以後,就什麼都沒有做,所以我在想:是不是從現在開始,也要做點兒什麼?”
「そうよ、お仕事をなさらなければいけないわ。お父様もそれを心配なさっていたわ」彼女は真面目な顔つきをして返事をした。「私なんかのことばかり考えていないで……」
“是啊,工作是不能落下的!爸爸也在擔心這件事呢。”她面色認真地說。“不要只想著我的事情。”
「いや、お前のことをもっともっと考えたいんだ……」私はそのとき咄嗟に頭に浮んで来た或る小説の漠としたイデエをすぐその場で追い廻し出しながら、独り言のように言い続けた。
“不,你的事情是更加要想的。”我一邊緊緊追尋著當時頃刻之間浮現在腦海裡的一個小說的模糊概念,一邊自言自語似地說:

「おれはお前のことを小説に書こうと思うのだよ。それより他のことは今のおれには考えられそうもないのだ。おれ達がこうしてお互に与え合っているこの幸福、――皆がもう行き止まりだと思っているところから始っているようなこの生の愉しさ、――そう云った誰も知らないような、おれ達だけのものを、おれはもっと確実なものに、もうすこし形をなしたものに置き換えたいのだ。分るだろう?」
“我是想,寫一本關於你的小說。除此之外的其他事情,我一點兒也不打算去想。我是想,讓我們這樣互相給予的這種幸福,從這種大家都認為是終點的地方開始,感受活著的愉快……讓這種不為人知的、只屬於我們的東西,轉化成更加實在的、接近成型的東西,明白嗎?”
「分るわ」彼女は自分自身の考えでも逐うかのように私の考えを逐っていたらしく、それにすぐ応じた。が、それから口をすこし歪めるように笑いながら、
“明白。”她似乎在追著我的思維,像追著自己的思路一樣,乾脆俐落地回應道。但隨後卻像對我有點居高臨下似的略微歪著嘴笑著,補充說:

「私のことならどうでもお好きなようにお書きなさいな」と私を軽く遇うように言い足した。
“如果是我的事,請隨心所欲地寫吧。”

 私はしかし、その言葉を率直に受取った。
我卻坦然的接受了她的話。

「ああ、それはおれの好きなように書くともさ。……が、今度の奴はお前にもたんと助力して貰わなければならないのだよ」
“啊,我當然可以隨心所欲地寫啦……但是這回的東西,可是必須要得到你的鼎力相助才行的哦。”

「私にも出来ることなの?」
“我也可以嗎?”
「ああ、お前にはね、おれの仕事の間、頭から足のさきまで幸福になっていて貰いたいんだ。そうでないと……」
“誒,你嘛,就請你在我工作期間,從頭到腳得幸福起來,否則的話……”

一人でぼんやりと考え事をしているのよりも、こうやって二人で一緒に考え合っているみたいな方が、余計自分の頭が活溌に働くのを異様に感じながら、私はあとからあとからと湧いてくる思想に押されでもするかのように、病室の中をいつか往ったり来たりし出していた。
與其一個人在茫然地思考著,這種看似兩個人共同在做的思考,反而更能使自己的思維靈活。我一邊驚詫地感受著這差別,一邊在病房中不斷地踱著步,仿佛被源源不斷噴湧而來的文思推動著一般。

「あんまり病人の側にばかりいるから、元気がなくなるのよ。……すこしは散歩でもしていらっしゃらない?」
“總是在我這個病人身邊呆著,就會沒有精神的……你要不要稍微散散步什麼的?”

「うん、おれも仕事をするとなりあ」と私は目を赫かせながら、元気よく答えた。「うんと散歩もするよ」
“嗯!我也要工作了!”,我目光炯炯精神飽滿地回答。“當然……也要好好地散步!”

*

私はその森を出た。大きな沢を隔てながら、向うの森を越して、八ヶ岳の山麓一帯が私の目の前に果てしなく展開していたが、そのずっと前方、殆んどその森とすれすれぐらいのところに、一つの狭い村とその傾いた耕作地とが横たわり、そして、その一部にいくつもの赤い屋根を翼さのように拡げたサナトリウムの建物が、ごく小さな姿になりながらしかし明瞭に認められた。
我走出了森林。繞過大澤,穿過對面的森林,八嶽山麓就在我的眼前無限地延伸著。前方遠處,幾乎緊挨著森林邊緣的地方,橫臥著一個狹長的村莊,還有那片傾斜的耕地。而在其中的一角,療養院的建築將幾脊紅色的屋頂如鳥翼般展開。雖然形狀已經變得很小,但還是清晰可辯。

私は早朝から、何処をどう歩いているのかも知らずに、足の向くまま、自分の考えにすっかり身を任せ切ったようになって、森から森へとさ迷いつづけていたのだったが、いま、そんな風に私の目のあたりに、秋の澄んだ空気が思いがけずに近よせているサナトリウムの小さな姿を、不意に視野に入れた刹那、私は急に何か自分に憑いていたものから醒めたような気持で、その建物の中で多数の病人達に取り囲まれながら、毎日毎日を何気なさそうに過している私達の生活の異様さを、はじめてそれから引き離して考え出した。そうしてさっきから自分の裡に湧き立っている制作欲にそれからそれへと促されながら、私はそんな私達の奇妙な日ごと日ごとを一つの異常にパセティックな、しかも物静かな物語に置き換え出した。……「節子よ、これまで二人のものがこんな風に愛し合ったことがあろうとは思えない。いままでお前というものはいなかったのだもの。それから私というものも……」
我從早上漫無目的地信步而行,完全隨著自己思考,從森林到森林地徘徊著。但是現在,秋天澄澈的天空出人意料地把療養院的小小身影,拉近在我的眼前。當它不經意間進入我視野的一刹那間,我的心情突然就像從自己的迷幻中,夢醒了一樣。我第一次從幻夢裡跳出來,思考著我們在那建築中、在許許多多病人的包圍中,那一天天若無其事地度過著的生活的異樣。於是,我在剛才就已在身體裡湧動的創作欲望的催促下,把我們那些奇妙的一天又一天,轉換成一個極其感人而又靜寂的故事。“……節子啊,迄今為止,我沒有想到兩個人可以如此地相愛。而我又……”

私の夢想は、私達の上に起ったさまざまな事物の上を、或る時は迅速に過ぎ、或る時はじっと一ところに停滞し、いつまでもいつまでも躊躇っているように見えた。私は節子から遠くに離れてはいたが、その間絶えず彼女に話しかけ、そして彼女の答えるのを聞いた。そういう私達についての物語は、生そのもののように、果てしがないように思われた。そうしてその物語はいつのまにかそれ自身の力でもって生きはじめ、私に構わず勝手に展開し出しながら、ともすれば一ところに停滞しがちな私を其処に取り残したまま、その物語自身があたかもそういう結果を欲しでもするかのように、病める女主人公の物悲しい死を作為しだしていた。――身の終りを予覚しながら、その衰えかかっている力を尽して、つとめて快活に、つとめて気高く生きようとしていた娘、――恋人の腕に抱かれながら、ただその残される者の悲しみを悲しみながら、自分はさも幸福そうに死んで行った娘、――そんな娘の影像が空に描いたようにはっきりと浮んでくる。……
我的冥想,從我們親身經歷的那些事情上一忽兒飛速滑過,一忽兒一動不動地停留在某一處,無休無止地彷徨著。這幾天,我雖然遠離了節子,但我不斷地從心裡對她傾訴,也聽到了她的回答。我覺得,關於我們的故事,恰如生命一樣,沒有盡頭。而那個故事,也在不知不覺之間,開始以它自身的力量生長,拋開我而隨意地展開,往往把動不動就滯留在一處的我,留在原處。而故事自己,仿佛渴望那種結局一樣,編造著病中女主角悲慘的死——姑娘被抱在戀人的臂彎中,只悲傷著生者的悲傷,而自己卻真正幸福地死去——這姑娘的身影,就像畫在空中一樣,清晰的浮現出來。……

「男は自分達の愛を一層純粋なものにしようと試みて、病身の娘を誘うようにして山のサナトリウムにはいって行くが、死が彼等を脅かすようになると、男はこうして彼等が得ようとしている幸福は、果してそれが完全に得られたにしても彼等自身を満足させ得るものかどうかを、次第に疑うようになる。――が、娘はその死苦のうちに最後まで自分を誠実に介抱してくれたことを男に感謝しながら、さも満足そうに死んで行く。そして男はそういう気高い死者に助けられながら、やっと自分達のささやかな幸福を信ずることが出来るようになる……」

“男子竭力想讓他們的愛變得更加純潔,勸說生病的姑娘到山裡的療養院。但是,當死亡開始威脅到他們的時候,男人於是漸漸地懷疑:他們想要得到的幸福——即使他們全都得到了,到底能不能讓他們自身得到滿足。——但是,姑娘在那死亡的痛苦之中,一邊感謝男子真誠地看顧自己到最後,一邊非常滿足地死去。然後,男人一邊幫助著這高尚的死者,一邊終於開始相信,他們那淡淡的幸福。”

そんな物語の結末がまるで其処に私を待ち伏せてでもいたかのように見えた。そして突然、そんな死に瀕した娘の影像が思いがけない烈しさで私を打った。私はあたかも夢から覚めたかのように何んともかとも言いようのない恐怖と羞恥とに襲われた。そしてそういう夢想を自分から振り払おうとでもするように、私は腰かけていた・の裸根から荒々しく立ち上った。
這樣的故事結局,就像已經在等著我一樣,清晰可見。於是,那瀕死的姑娘的身影,以超乎想像的力,重擊著我。我宛如從夢中驚醒一般,被難以名狀恐怖和羞愧衝擊著,我猛地從正坐著的山毛櫸跟上站起,仿佛要把這種冥想,從自己身上趕走一般。

太陽はすでに高く昇っていた。山や森や村や畑、――そうしたすべてのものは秋の穏かな日の中にいかにも安定したように浮んでいた。かなたに小さく見えるサナトリウムの建物の中でも、すべてのものは毎日の習慣を再び取り出しているのに違いなかった。そのうち不意に、それらの見知らぬ人々の間で、いつもの習慣から取残されたまま、一人でしょんぼりと私を待っている節子の寂しそうな姿を頭に浮べると、私は急にそれが気になってたまらないように、急いで山径を下りはじめた。
太陽已經高高升起。大山、森林、村莊、田野——所有這一切,都在秋天的陽光下,呈現出一種莫名的平靜。遠處看起來很小的療養院的建築裡,一切也都必定重複著每一天的習慣。不知不覺的,在那些陌生的人們中,那被遺忘在平日的習慣之外、而且一個人孤單地等待著我的節子——那寂寞的身影,忽然在我的腦海裡浮現出來。我忽然擔心不已,便匆匆忙忙地走下山路。

私は裏の林を抜けてサナトリウムに帰った。そしてバルコンを迂回しながら、一番はずれの病室に近づいて行った。私には少しも気がつかずに、節子は、ベッドの上で、いつもしているように髪の先きを手でいじりながら、いくぶん悲しげな目つきで空を見つめていた。私は窓硝子を指で叩こうとしたのをふと思い止まりながら、そういう彼女の姿をじっと見入った。
我穿過後面的森林,回到了療養院。然後繞過陽臺,走進了最邊上的病房。節子絲毫沒有發現我,一邊像平常一樣在病床上用手撥弄著發梢,一邊帶著幾分悲傷的眼神注視著天空。我立刻放棄了用手指敲窗的念頭,一動不動的地入神地看著她。

彼女は何かに脅かされているのを漸っと怺えているとでも云った様子で、それでいてそんな様子をしていることなどは恐らく彼女自身も気がついていないのだろうと思える位、ぼんやりしているらしかった。……私は心臓をしめつけられるような気がしながら、そんな見知らない彼女の姿を見つめていた。……と突然、彼女の顔が明るくなったようだった。彼女は顔をもたげて、微笑さえしだした。彼女は私を認めたのだった。
她的神態,好像是在極力忍耐某種威脅。而她自身也許沒有意識到,自己這樣的神態,茫然若失……我注視著她陌生的神態,感到心臟在收縮。……突然,她的表情開朗了起來,她的臉揚起,甚至開始現出微笑。原來,她發現了我。

私はバルコンからはいりながら、彼女の側に近づいて行った。
我從陽臺走進去,走近她的身旁。

「何を考えていたの?」
“在想啥呢?”
「なんにも……」彼女はなんだか自分のでないような声で返事をした。
“沒……”不知道為什麼,她回答的聲音不像是她自己的。

私がそのまま何も言い出さずに、すこし気が鬱いだように黙っていると、彼女は漸っといつもの自分に返ったような、親密な声で、「何処へ行っていらしったの?随分長かったのね」と私に訊いた。
我就這樣什麼也沒有說,心情抑鬱地沉默著。她好像終於回到了平常的自我,用親密的聲音向我說道:“去了哪裡啊?這麼久的。”

「向うの方だ」私は無雑作にバルコンの真正面に見える遠い森の方を指した。
“隔壁那裡。”我隨便地指了指陽臺正對面遠處的森林。

「まあ、あんなところまで行ったの?……お仕事は出来そう?」
“哦,去那裡啊……工作得差不多了吧?”
「うん、まあ……」私はひどく無愛想に答えたきり、しばらくまた元のような無言に返っていたが、それから出し抜けに私は、「お前、いまのような生活に満足しているかい?」といくらか上ずったような声で訊いた。
“嗯嗯……”我極其冷淡的只回答了這些,許久又重歸於原來的那種沉默。為了擺脫這種沉默,我用提高了一些的聲調問道:“你對現在這種生活滿意嗎?”

 彼女はそんな突拍子もない質問にちょっとたじろいた様子をしていたが、それから私をじっと見つめ返して、いかにもそれを確信しているように頷きながら、「どうしてそんなことをお訊きになるの?」と不審しそうに問い返した。
她對這種不著邊際的問題,略顯遲疑。但隨後便回頭盯著我,一邊非常堅信地點頭,一邊有些不解地發問:“為什麼要問這種問題?”

「おれは何んだかいまのような生活がおれの気まぐれなのじゃないかと思ったんだ。そんなものをいかにも大事なもののようにこうやってお前にも……」
 “我總是覺得,現在的生活,是不是我做事不靠譜的後果?把事情看得太重,這麼一來,對你也……”
「そんなこと言っちゃ厭」彼女は急に私を遮った。「そんなことを仰しゃるのがあなたの気まぐれなの」
“不許說這種話!”她急忙打斷我:“說這樣的話,才是不靠譜呢!”
 けれども私はそんな言葉にはまだ満足しないような様子を見せていた。彼女はそういう私の沈んだ様子をしばらくは唯もじもじしながら見守っていたが、とうとう怺え切れなくなったとでも言うように言い出した。
但是,我還是表現出了對這些話並不滿意的神態。她只是久久的、靦腆地看著我這消沉的樣子。但終於,好像再也忍耐不住似的開口說:

「私が此処でもって、こんなに満足しているのが、あなたにはおわかりにならないの? どんなに体の悪いときでも、私は一度だって家へ帰りたいなんぞと思ったことはないわ。若しあなたが私の側にいて下さらなかったら、私は本当にどうなっていたでしょう?……さっきだって、あなたがお留守の間、最初のうちはそれでもあなたのお帰りが遅ければ遅いほど、お帰りになったときの悦びが余計になるばかりだと思って、痩我慢していたんだけれど、――あなたがもうお帰りになると私の思い込んでいた時間をずうっと過ぎてもお帰りにならないので、しまいにはとても不安になって来たの。そうしたら、いつもあなたと一緒にいるこの部屋までがなんだか見知らない部屋のような気がしてきて、こわくなって部屋の中から飛び出したくなった位だったわ。……でも、それから漸っとあなたのいつか仰しゃったお言葉を考え出したら、すこうし気が落着いて来たの。あなたはいつか私にこう仰しゃったでしょう、――私達のいまの生活、ずっとあとになって思い出したらどんなに美しいだろうって……」

“我因為在這裡,才感到了這樣的滿足。你難道不知道嗎?無論在身體多麼不好的時候,我一次也沒有想過回家。如果沒有你在我的身邊,我真的不知道我會怎麼樣……就在剛才你走開的那一會兒,雖然最初還是硬撐著,只想著你回來得越晚,你回來的時候快樂就越大,但是——因為超過了我預想的時間,你還是很久沒有回來,最後,我變得很不高興。結果,就是這個平時總是有你在一起的房間,也不知道為什麼變得陌生了,我很害怕,害怕得自己就想從這個房間裡跑出去……可是,後來總算想起你說過的話,心情就一點點地平靜下來了。你不是曾經對我說過嗎——我們現在的生活,到了遙遠的將來,再回憶起來,該是多麼的美啊。”

彼女はだんだん嗄れたような声になりながらそれを言い畢えると、一種の微笑ともつかないようなもので口元を歪めながら、私をじっと見つめた。
她的聲音越發的沙啞。說完這番話,用一種說不上是微笑的表情,歪著嘴角,一動不動地注視著我。


彼女のそんな言葉を聞いているうちに、たまらぬほど胸が一ぱいになり出した私は、しかし、そういう自分の感動した様子を彼女に見られることを恐れでもするように、そっとバルコンに出て行った。そしてその上から、嘗て私達の幸福をそこに完全に描き出したかとも思えたあの初夏の夕方のそれに似た――しかしそれとは全然異った秋の午前の光、もっと冷たい、もっと深味のある光を帯びた、あたり一帯の風景を私はしみじみと見入りだしていた。あのときの幸福に似た、しかしもっともっと胸のしめつけられるような見知らない感動で自分が一ぱいになっているのを感じながら……

我聽著她這番話,不知不覺地心裡酸楚難耐。但是,我害怕被她看到自己感動的樣子,便悄悄地走到陽臺。然後就在這陽臺上,深深地凝望著周邊一帶的景色。這景色,與那個初夏的傍晚——我們曾經以為它已經完全描繪了我們的幸福——很相似,但卻不完全相同。這景色帶著的,是秋日午前更冷、更有蘊意的光。我感到有一種與那時的幸福感很像,卻更加令人心中痛楚、從未有過的感動,越來越充溢著自己的身體……



  一九三五年十月二十日

午後、いつものように病人を残して、私はサナトリウムを離れると、収穫に忙しい農夫等の立ち働いている田畑の間を抜けながら、雑木林を越えて、その山の窪みにある人けの絶えた狭い村に下りた後、小さな谿流にかかった吊橋を渡って、その村の対岸にある栗の木の多い低い山へ攀じのぼり、その上方の斜面に腰を下ろした。そこで私は何時間も、明るい、静かな気分で、これから手を着けようとしている物語の構想に耽っていた。ときおり私の足もとの方で、思い出したように、子供等が栗の木をゆすぶって一どきに栗の実を落す、その谿じゅうに響きわたるような大きな音に愕かされながら……

下午,像平時一樣,我留下了節子,離開了療養院。穿過忙於收穫的農夫們勞作的田間,越過雜樹山,走過山窪的吊橋,攀上村莊對面長著許多栗樹的矮山,在山頂的斜坡上坐了下來。在那裡,我在明快靜謐的氣氛中,沉浸於即將著手的故事的構思之中,已經有好幾個小時了。在我腳下那邊,孩子們搖晃著栗子樹,一陣栗子落下,發出巨大的聲音,響徹了整個山谷。我便時而被這聲音驚醒,回到現實中來……

そういう自分のまわりに見聞きされるすべてのものが、私達の生の果実もすでに熟していることを告げ、そしてそれを早く取り入れるようにと自分を促しでもしているかのように感ずるのが、私は好きであった。

這樣的我,身邊所見所聞的一切,仿佛宣告著:我們的生之果實,已經成熟,催促著自己快一點收穫。我喜歡這種感覺。

ようやく日が傾いて、早くもその谿の村が向うの雑木山の影の中にすっかりはいってしまうのを認めると、私は徐かに立ち上って、山を下り、再び吊橋をわたって、あちらこちらに水車がごとごとと音を立てながら絶えず廻っている狭い村の中を何んということはなしに一まわりした後、八ヶ岳の山麓一帯に拡がっている落葉松林の縁を、もうそろそろ病人がもじもじしながら自分の帰りを待っているだろうと考えながら、心もち足を早めてサナトリウムに戻るのだった。

看到漸漸西斜的太陽,即將完全沒入那山谷村莊對面的雜樹山影之中時,我慢慢站起,走下山丘,再次步過吊橋,漫無目的地在小村莊裡轉過一遭,村中到處迴響著水車“咕咚”的聲響。然後我沿著一直延伸到八嶽山麓的落葉松林的邊緣,一邊想著:節子恐怕已經在含情脈脈地等著自己歸來,一邊小心地加快腳步,回到了療養院。


十月二十三日

明け方近く、私は自分のすぐ身近でしたような気のする異様な物音に驚いて目を覚ました。そうしてしばらく耳をそば立てていたが、サナトリウム全体は死んだようにひっそりとしていた。それからなんだか目が冴えて、私はもう寝つかれなくなった。

將近天明,我被感覺就在身邊的奇異聲音驚醒。於是側耳良久,但是整個療養院死一般的寂靜。然後我便無端地清醒,再也難以入眠。

小さな蛾のこびりついている窓硝子をとおして、私はぼんやりと暁の星がまだ二つ三つ幽かに光っているのを見つめていた。が、そのうちに私はそういう朝明けが何んとも云えずに寂しいような気がして来て、そっと起き上ると、何をしようとしているのか自分でも分らないように、まだ暗い隣りの病室へ素足のままではいって行った。そうしてベッドに近づきながら、節子の寝顔を屈み込むようにして見た。すると彼女は思いがけず、ぱっちりと目を見ひらいて、そんな私の方を見上げながら、
通過粘著小飛蛾的玻璃窗,我漠然注視著晨星三三兩兩地發著幽幽的光。但是,不知不覺地,我對這黎明感到了難以名狀的孤獨,悄悄起來,似乎自己也不知道想做什麼,光著腳走進了尚在黑暗中的隔壁病房。走近床頭,彎下腰去看節子的睡容。這時,她出人意料地一下子睜開眼睛,向上看著我,有些奇怪地問道:

「どうなすったの?」と訝しそうに訊いた。
“怎麼了?”
私は何んでもないと云った目くばせをしながら、そのまま徐かに彼女の上に身を屈めて、いかにも怺え切れなくなったようにその顔へぴったりと自分の顔を押しつけた。
我一邊用眼神告訴她沒什麼,一邊就那樣慢慢俯身壓在她的身上,然後仿佛無法支持似的,把自己的臉一下子壓到了她的臉上。

「まあ、冷たいこと」彼女は目をつぶりながら、頭をすこし動かした。髪の毛がかすかに匂った。そのまま私達はお互のつく息を感じ合いながら、いつまでもそうしてじっと頬ずりをしていた。
“啊!好冷!”她閉上眼睛,微微搖頭。她的頭發散著微香。我們就這樣,互相感受著對方的氣息,久久的、一動不動地臉貼著臉。

「あら、又、栗が落ちた……」彼女は目を細目に明けて私を見ながら、そう囁いた。
“呀,栗子又落了……”她把眼睛睜開一條縫看著我,自言自語道。
「ああ、あれは栗だったのかい。……あいつのお蔭でおれはさっき目を覚ましてしまったのだ」
“啊,是栗子嗎?……就是這些掉下來的栗子,才讓我剛醒過來的。”

私は少し上ずったような声でそう言いながら、そっと彼女を手放すと、いつの間にかだんだん明るくなり出した窓の方へ歩み寄って行った。そしてその窓に倚りかかって、いましがたどちらの目から滲み出たのかも分らない熱いものが私の頬を伝うがままにさせながら、向うの山の背にいくつか雲の動かずにいるあたりが赤く濁ったような色あいを帯び出しているのを見入っていた。畑の方からはやっと物音が聞え出した。……

我一邊用略微高一些的聲調說著,一邊輕輕放開她,走向不知不覺中已經漸漸明亮起來的窗戶,然後,倚著窗戶,出神地看著對面山后幾片靜止的雲,那雲被染上了濃重的深紅色調,任那剛剛不知是誰眼裡湧出的熱淚,往我的臉龐潸然而下。田野那邊終於傳來了聲響……

「そんな事をしていらっしゃるとお風を引くわ」ベッドから彼女が小さな声で言った。
“那樣會感冒的!”她在床那邊小聲地說。

私は何か気軽い調子で返事をしてやりたいと思いながら、彼女の方をふり向いた。が、大きく・って気づかわしそうに私を見つめている彼女の目と見合わせると、そんな言葉は出されなかった。そうして無言のまま窓を離れて、自分の部屋に戻って行った。
我一邊想要用一種輕鬆的語氣回應她,一邊回頭看著她。可是,一遇到她那睜大著的、擔心地注視著我的眼睛,那樣的話便難以啟齒。於是,我默默地離開窗戶,回到自己的房間。

それから数分立つと、病人は明け方にいつもする、抑えかねたような劇しい咳を出した。再び寝床に潜りこみながら、私は何んともかとも云われないような不安な気持でそれを聞いていた。
此後過了幾分鐘,節子發出了總是在天亮時就無法抑制的劇烈咳嗽。我再次鑽進被窩裡,以一種難以名狀的不安心情靜聽著。

十月二十七日

私はきょうもまた山や森で午後を過した。
今天下午,我也是在山林中度過的。

一つの主題が、終日、私の考えを離れない。真の婚約の主題――二人の人間がその余りにも短い一生の間をどれだけお互に幸福にさせ合えるか? 抗いがたい運命の前にしずかに頭を項低れたまま、互に心と心と、身と身とを温め合いながら、並んで立っている若い男女の姿、――そんな一組としての、寂しそうな、それでいて何処か愉しくないこともない私達の姿が、はっきりと私の目の前に見えて来る。それを措いて、いまの私に何が描けるだろうか?……
一個主題,終日沒有離開我的思索。真正婚姻的主題——兩個人,在極其短暫的一生之間,到底能互相讓對方得到多少幸福?在難以抗拒的命運面前,承認現實,互相心溫暖著心、身溫暖著身,並且挺立著的青年男女的形象——我們就是這麼一對,寂寞、沒有絲毫歡樂的形象,越發清晰地呈現在我的眼前。舍此之外,而今的我還能描繪出些什麼?……

果てしのないような山麓をすっかり黄ばませながら傾いている落葉松林の縁を、夕方、私がいつものように足早に帰って来ると、丁度サナトリウムの裏になった雑木林のはずれに、斜めになった日を浴びて、髪をまぶしいほど光らせながら立っている一人の背の高い若い女が遠く認められた。私はちょっと立ち止まった。どうもそれは節子らしかった。しかしそんな場所に一人きりのようなのを見て、果して彼女かどうか分らなかったので、私はただ前よりも少し足を早めただけだった。が、だんだん近づいて見ると、それはやはり節子であった。
山坡上的落葉松林,將那似乎無邊無際的山麓完全染黃。傍晚,沿著松林的邊上,我像以往一樣,我像以往一樣快步走回。遠遠的看見一個年輕的高個年輕女子,恰好站在療養院後面的雜木林邊,沐浴著落日餘暉,頭髮閃著耀眼的光。我略微停下了腳步。那女子實在太像節子了。可是,看到她一個人站在那,真不知道到底是不是她。所以,我只是比此前的腳步略快了一些,向前走去。可是,漸漸走近了看時,竟然真是節子。

「どうしたんだい?」私は彼女の側に駈けつけて、息をはずませながら訊いた。
“怎麼了?”我跑到她的身邊,喘著粗氣問道。
「此処であなたをお待ちしていたの」彼女は顔を少し赧くして笑いながら答えた。
“在這等你來著。”她的臉略微紅了,笑著回答。
「そんな乱暴な事をしても好いのかなあ」私は彼女の顔を横から見た。
“這樣胡來可不好!”我側望著她的臉。

「一遍くらいなら構わないわ。……それにきょうはとても気分が好いのですもの」つとめて快活な声を出してそう言いながら、彼女はなおもじっと私の帰って来た山麓の方を見ていた。
“就這一次,沒關係的啦……今天心情特別好。”她竭力地用快活的語氣說道,仍舊一動不動地看著我,看著前面的山麓。

「あなたのいらっしゃるのが、ずっと遠くから見えていたわ」
“大老遠就看到你在那裡了。”
私は何も言わずに、彼女の側に並んで、同じ方角を見つめた。
我什麼也沒有說,站在她的身邊,注視著同樣的方向。

彼女が再び快活そうに言った。「此処まで出ると、八ヶ岳がすっかり見えるのね」
她又快活地說:“到了這裡,就能看到整個八嶽山了嗎?”
「うん」
“嗯。”
と私は気のなさそうな返事をしたきりだったが、そのままそうやって彼女と肩を並べてその山を見つめているうちに、ふいと何んだか不思議に混んがらかったような気がして来た。
我只是興趣索然地應了一聲。但是,就這樣和她並肩注視著那座山的時候,忽然感到了一種奇妙的朦朧混沌之感。

「こうやってお前とあの山を見ているのはきょうが始めてだったね。だが、おれにはどうもこれまでに何遍もこうやってあれを見ていた事があるような気がするんだよ」
“今天是第一次這樣和你看這座山吧?可是,我怎麼覺得,好像在這之前,我曾經也這樣看了這山很多次啊。”
「そんな筈はないじゃあないの?」
“不可能吧?”

「いや、そうだ……おれはいま漸っと気がついた……おれ達はね、ずっと前にこの山を丁度向う側から、こうやって一しょに見ていたことがあるのだ。いや、お前とそれを見ていた夏の時分はいつも雲に妨げられて殆ど何も見えやしなかったのさ。……しかし秋になってから、一人でおれが其処へ行ってみたら、ずっと向うの地平線の果てに、この山が今とは反対の側から見えたのだ。あの遠くに見えた、どこの山だかちっとも知らずにいたのが、確かにこれらしい。丁度そんな方角になりそうだ。……お前、あの薄がたんと生い茂っていた原を覚えているだろう?」
“不是的,對了……我現在終於想起來了……我們在很久很久以前,正好是從山的對面,就這樣一起看過來的。哦,不對,和你一起看的時候是夏天,有雲擋著,什麼也看不見。……可是,到了秋天,我一個人去那一看,就能在遠處地平線的盡頭看到這座山,那是和現在相反的一側。當時一點也不知道,從遠處呈現出來的山,是個什麼地方,但的確是很像這座山。好像就是這個角度了。……對了,你還記得那片芒草長得很盛的草原嗎?”

「ええ」
“嗯。”

「だが実に妙だなあ。いま、あの山の麓にこうしてこれまで何も気がつかずにお前と暮らしていたなんて……」
“但是,真的很奇怪。現在就這樣對著那山,想不到和你一起生活了這麼久,怎麼一點都沒有注意到呢……”

丁度二年前の、秋の最後の日、一面に生い茂った薄の間からはじめて地平線の上にくっきりと見出したこの山々を遠くから眺めながら、殆ど悲しいくらいの幸福な感じをもって、二人はいつかはきっと一緒になれるだろうと夢見ていた自分自身の姿が、いかにも懐かしく、私の目に鮮かに浮んで来た。
恰好兩年前,那個秋季的最後一天,自己遠遠眺望著群山——今天,它第一次清晰地呈現在茂密生長著的芒草叢中。那時,我用近乎悲傷的幸福感覺,幻想著兩個人終將在一起。這個身影在我眼前歷歷浮現,令人懷念。

私達は沈黙に落ちた。その上空を渡り鳥の群れらしいのが音もなくすうっと横切って行く、その並み重った山々を眺めながら、私達はそんな最初の日々のような慕わしい気持で、肩を押しつけ合ったまま、佇んでいた。そうして私達の影がだんだん長くなりながら草の上を這うがままにさせていた。
我們陷入了沉默。飛過天空的鳥群靜靜地橫穿而過。我們帶著最初的日子裡的仰慕,眺望著這層層迭迭的群山,互相搭著肩膀佇立著。就這樣,任我們的身影在草地上慢慢伸長、爬行。

やがて風が少し出たと見えて、私達の背後の雑木林が急にざわめき立った。
不久,似乎風兒起了。我們背後的雜木林開始嘈雜了起來。

私は「もうそろそろ帰ろう」と不意と思い出したように彼女に言った。
“我們應該要回去了。”我好像才想到似的突然對她說。

私達は絶えず落葉のしている雑木林の中へはいって行った。私はときどき立ち止まって、彼女を少し先きに歩かせた。二年前の夏、ただ彼女をよく見たいばかりに、わざと私の二三歩先きに彼女を歩かせながら森の中などを散歩した頃のさまざまな小さな思い出が、心臓をしめつけられる位に、私の裡に一ぱいに溢れて来た。
我們走近落葉不斷的雜木林。我時而停下腳步,讓她先走一些。兩年前的夏天,只是為了好好的看著她,我在森林中散步的時候,也會故意的讓她走在我兩三步之前。那時各種各樣零零碎碎的回憶,在我的身體裡洋溢著,幾乎擠得讓人心疼。



十一月二日

夜、一つの明りが私達を近づけ合っている。その明りの下で、ものを言い合わないことにも馴れて、私がせっせと私達の生の幸福を主題にした物語を書き続けていると、その笠の蔭になった、薄暗いベッドの中に、節子は其処にいるのだかいないのだか分らないほど、物静かに寝ている。ときどき私がそっちへ顔を上げると、さっきからじっと私を見つめつづけていたかのように私を見つめていることがある。「こうやってあなたのお側にいさえすれば、私はそれで好いの」と私にさも言いたくってたまらないでいるような、愛情を籠めた目つきである。

夜晚,一盞燈將我們拉在一起。燈下,已經習慣了相互的無語。我繼續賣力地寫著以我們活著的幸福為主題的故事。燈罩的陰影處,節子靜靜地躺在微暗的床上,安靜得讓人幾乎以為她不在那裡。我時而抬起頭看她,她正在凝視著我,似乎一直都在凝視著的。她的眼神裡洋溢著愛意,仿佛忍不住要說:“只要能這樣在你身邊,我就高興。”

ああ、それがどんなに今の私に自分達の所有している幸福を信じさせ、そしてこうやってそれにはっきりした形を与えることに努力している私を助けていてくれることか! 

啊!這讓我相信了:現在我們擁有的幸福,並努力要給這種幸福一種清晰的形態,這對於我有多大的幫助呀!

十一月十日

冬になる。空は拡がり、山々はいよいよ近くなる。その山々の上方だけ、雪雲らしいのがいつまでも動かずにじっとしているようなことがある。そんな朝には山から雪に追われて来るのか、バルコンの上までがいつもはあんまり見かけたことのない小鳥で一ぱいになる。そんな雪雲の消え去ったあとは、一日ぐらいその山々の上方だけが薄白くなっていることがある。そしてこの頃はそんないくつかの山の頂きにはそういう雪がそのまま目立つほど残っているようになった。
冬天到了。天空更加廣闊,群山終於走近。有時,貌似雪雲的雲團,一動不動地只是凝固在群山的頂峰。這樣的早晨,也許是被雪從山上趕來的,陽臺上滿是平日裡難以見到的鳥兒。而那雪雲散去之後,約有一天左右,只有群山的頂部變得微白。而近日來,那幾座山的頂上,殘雪一直醒目地停留著。

私は数年前、屡々、こういう冬の淋しい山岳地方で、可愛らしい娘と二人きりで、世間から全く隔って、お互がせつなく思うほどに愛し合いながら暮らすことを好んで夢みていた頃のことを思い出す。私は自分の小さい時から失わずにいる甘美な人生へのかぎりない夢を、そういう人のこわがるような苛酷なくらいの自然の中に、それをそっくりそのまま少しも害わずに生かしてみたかったのだ。そしてそのためにはどうしてもこういう本当の冬、淋しい山岳地方のそれでなければいけなかったのだ……
我想起幾年前,常常喜歡幻想:在這種冬天寂寞的山區,和可愛的姑娘二人完全與世隔絕地、痛切地深愛著,一同生活著。我其實是想,把自己兒時執著的、對甜美人生的無限夢想,一模一樣、原封不動、毫髮無損地再生到這個駭人的殘酷自然中來。為了這個目的,則無論如何,非如此真正的冬天、寂寞的山地不可……
――夜の明けかかる頃、私はまだその少し病身な娘の眠っている間にそっと起きて、山小屋から雪の中へ元気よく飛び出して行く。あたりの山々は、曙の光を浴びながら、薔薇色に赫いている。私は隣りの農家からしぼり立ての山羊の乳を貰って、すっかり凍えそうになりながら戻ってくる。それから自分で煖炉に焚木をくべる。やがてそれがぱちぱちと活溌な音を立てて燃え出し、その音で漸っとその娘が目を覚ます時分には、もう私はかじかんだ手をして、しかし、さも愉しそうに、いま自分達がそうやって暮している山の生活をそっくりそのまま書き取っている……
——黎明時分,趁著那身染小恙的姑娘尚在夢中,我悄悄起床,精神飽滿地從山間小屋跳到雪中。周圍的群山沐浴著曙光,閃耀著薔薇色的光芒。我從臨近的農家,取來剛剛擠出的山羊奶,在凍透中歸來。然後自己給暖爐添上木材,不一會兒,木材就發出了劈劈啪啪的聲響,快活地燃燒起來。

今朝、私はそういう自分の数年前の夢を思い出し、そんな何処にだってありそうもない版画じみた冬景色を目のあたりに浮べながら、その丸木造りの小屋の中のさまざまな家具の位置を換えたり、それに就いて私自身と相談し合ったりしていた。それから遂にそんな背景はばらばらになり、ぼやけて消えて行きながら、ただ私の目の前には、その夢からそれだけが現実にはみ出しでもしたように、ほんの少しばかり雪の積った山々と、裸になった木立と、冷たい空気とだけが残っていた。……
那聲音漸漸的把姑娘吵醒。這時,我的手已經凍僵,但是我還是極其愉悅地、原封不動地臨摹著我們現在這樣的山中生活……今天早晨,我想起自己這個幾年前的夢想,眼前浮現著那個無處可尋的充滿版畫情調的冬景。同時不斷的更換著、不斷地和自己商討著,那用圓木建造起來的山間小屋,還有屋裡各種傢俱的位置。不久以後,那背景終於支離破碎,模糊淡去,仿佛從夢中回到現實一樣,在我眼前,只剩下積著幾許殘雪的群山、赤裸的樹木,還有冰冷的空氣……

一人で先きに食事をすませてしまってから、窓ぎわに椅子をずらしてそんな思い出に耽っていた私は、そのとき急に、いまやっと食事を了え、そのままベッドの上に起きながら、なんとなく疲れを帯びたようなぼんやりした目つきで山の方を見つめている節子の方をふり向いて、その髪の毛の少しほつれている窶れたような顔をいつになく痛々しげに見つめ出した。
我一個人先吃了飯,就把椅子拉到窗前,沉迷於這樣的回憶之中。這時,我猛然回頭朝節子那邊看去。她現在終於吃完了飯,就那樣在床上坐起來,用總是有些疲勞的漠然眼神,注視著山的那邊。我注視著她微散著的頭髮、瘦削的臉,感到從未有過的痛。

「このおれの夢がこんなところまでお前を連れて来たようなものなのだろうかしら?」と私は何か悔いに近いような気持で一ぱいになりながら、口には出さずに、病人に向って話しかけた。
“難道是因為我的夢想,竟然把你帶到了這種地方來?”我被一種近乎悔恨的心情充溢著。這句話,我終究沒有說出來。

「それだというのに、この頃のおれは自分の仕事にばかり心を奪われている。そうしてこんな風にお前の側にいる時だって、おれは現在のお前の事なんぞちっとも考えてやりはしないのだ。それでいて、おれは仕事をしながらお前のことをもっともっと考えているのだと、お前にも、それから自分自身にも言って聞かせてある。そうしておれはいつのまにか好い気になって、お前の事よりも、おれの詰まらない夢なんぞにこんなに時間を潰し出しているのだ……」
我對節子說:
“話雖如此,可是我這幾天的心思,都被工作佔據了。即使是這樣在你身邊的時候,我也根本沒有去想你的事情。就是這樣,我對你、也對我自己說:‘要一邊工作,一邊更多更多地去想你的事情。’於是我的心情就會不知不覺的快樂起來。曾經我那些無聊的夢想,要比你的事情,更多地消磨了我的時間……”

そんな私のもの言いたげな目つきに気がついたのか、病人はベッドの上から、にっこりともしないで、真面目に私の方を見かえしていた。この頃いつのまにか、そんな具合に、前よりかずっと長い間、もっともっとお互を締めつけ合うように目と目を見合わせているのが、私達の習慣になっていた。
也許是注意到了我那種若有所思的目光,節子在床上沒有微笑,神情認真地注視著我。近來,在這種情形下,比以往更久的,把兩人拉得更緊的、眼睛與眼睛的對視,不知不覺間已經成了我們的習慣。


十一月十七日

私はもう二三日すれば私のノオトを書き了えられるだろう。それは私達自身のこうした生活に就いて書いていれば切りがあるまい。それをともかくも一応書き了えるためには、私は何か結末を与えなければならないのだろうが、今もなおこうして私達の生き続けている生活にはどんな結末だって与えたくはない。いや、与えられはしないだろう。寧ろ、私達のこうした現在のあるがままの姿でそれを終らせるのが一番好いだろう。
再過兩三天,我的筆記就該寫完了。我就我們自己這個生活來寫,恐怕會無窮無盡。為了讓它有個了結,我必須給它一個結局。但是,我不想給我們現在不斷延續著的生活本身以任何結局。不,應該是無法給出任何結局。倒不如說,用保持我們現在的一切來結束它,恐怕才是最好的。

現在のあるがままの姿?……私はいま何かの物語で読んだ「幸福の思い出ほど幸福を妨げるものはない」という言葉を思い出している。現在、私達の互に与え合っているものは、嘗て私達の互に与え合っていた幸福とはまあ何んと異ったものになって来ているだろう!それはそう云った幸福に似た、しかしそれとはかなり異った、もっともっと胸がしめつけられるように切ないものだ。こういう本当の姿がまだ私達の生の表面にも完全に現われて来ていないものを、このまま私はすぐ追いつめて行って、果してそれに私達の幸福の物語に相応しいような結末を見出せるであろうか? なぜだか分らないけれど、私がまだはっきりさせることの出来ずにいる私達の生の側面には、何んとなく私達のそんな幸福に敵意をもっているようなものが潜んでいるような気もしてならない。……
保持現在擁有的一切?……我現在想起,在某篇小說裡讀到的一句話:“幸福的最大阻礙,就是對幸福的追憶。”我們現在互相給予的幸福,跟我們曾經互相給予的幸福相比,正在變得何等的不同!那是與那種幸福相似但相去甚遠、更加讓人心痛的苦楚。這個的本來面目,並沒有完全體現在我們的生活表面,而我們就這樣去苦苦追尋。到底能不能發現跟我們幸福故事相稱的結局呢?不知何故,我不由得感到,在我還不能窺探到人生哪怕是它的一個側面時,我總是不自覺的,對我們那種幸福潛存著一種近乎敵意的東西。……

そんなことを私は何か落着かない気持で考えながら、明りを消して、もう寝入っている病人の側を通り抜けようとして、ふと立ち止まって暗がりの中にそれだけがほの白く浮いている彼女の寝顔をじっと見守った。その少し落ち窪んだ目のまわりがときどきぴくぴくと痙攣れるようだったが、私にはそれが何物かに脅かされてでもいるように見えてならなかった。私自身の云いようもない不安がそれを唯そんな風に感じさせるに過ぎないであろうか?
關燈後,正要走過已經入睡的節子身旁時,我忽然止住了腳步。一邊焦躁不安地思考著這些事情,一邊凝視著她的臉——那唯一在黑暗中泛著微白的臉。她那有些凹下的眼周,時而痙攣般地微微跳動。而在我看來,那就像是受到某種威脅一樣。我自己就有那種不可名狀的不安,不會也讓她有如此的感受吧?

十一月二十日

私はこれまで書いて来たノオトをすっかり読みかえしてみた。私の意図したところは、これならまあどうやら自分を満足させる程度には書けているように思えた。
我把迄今為止寫下的筆記全部重讀了一遍。我覺得照這樣,大體上可以寫到讓自己滿意的程度。

が、それとは別に、私はそれを読み続けている自分自身の裡に、その物語の主題をなしている私達自身の「幸福」をもう完全には味わえそうもなくなっている、本当に思いがけない不安そうな私の姿を見出しはじめていた。そうして私の考えはいつかその物語そのものを離れ出していた。
但是在另一個問題上,當我在不斷讀著筆記時,我感覺自己的思索,不知不覺地離開了故事本身——我開始發現,自我已經完全不能體會故事主題中關於我們自身的“幸福”,還有那個超出想像的、仍陷入不安中的我。

「この物語の中のおれ達はおれ達に許されるだけのささやかな生の愉しみを味わいながら、それだけで独自にお互を幸福にさせ合えると信じていられた。少くともそれだけで、おれはおれの心を縛りつけていられるものと思っていた。――が、おれ達はあんまり高く狙い過ぎていたのであろうか? そうして、おれはおれの生の欲求を少し許り見くびり過ぎていたのであろうか? そのために今、おれの心の縛がこんなにも引きちぎられそうになっているのだろうか? ……」

“在這個故事中,我們品味著自己力所能及的、淡淡的生之快樂。同時,又是那樣的堅信,能夠用獨特的方式,給對方以幸福。至少僅此一點,我覺得我的心是被束縛著的。——可是,我們的標準是否太高?而且,是不是我把自己的生之欲望看得過輕了呢?是不是現在我心上的繩索,正是因為這樣,被我緊繃得快斷開了呢?……”

「可哀そうな節子……」
“可憐的節子……”

と私は机にほうり出したノオトをそのまま片づけようともしないで、考え続けていた。
我一點也不想整理被我扔在桌上的筆記本,繼續思索著。

「こいつはおれ自身が気づかぬようなふりをしていたそんなおれの生の欲求を沈黙の中に見抜いて、それに同情を寄せているように見えてならない。そしてそれが又こうしておれを苦しめ出しているのだ。……おれはどうしてこんなおれの姿をこいつに隠し了せることが出来なかったのだろう? 何んておれは弱いのだろうなあ……」
“她在沉默中,看穿了我自己帶著不在意來偽裝著的生之欲望,她表現出了對這樣的我的同情,那是再也清楚不過的了。而這樣,又讓我如此的痛苦。……我為什麼不能在她面前徹底地隱藏自己呢?我是多麼的無能啊……”

私は、明りの蔭になったベッドにさっきから目を半ばつぶっている病人に目を移すと、殆ど息づまるような気がした。私は明りの側を離れて、徐かにバルコンの方へ近づいて行った。
我把目光移向燈影之下。節子在床上,從剛才開始就一直半合著眼睛。有一種近乎窒息的感覺向我襲來。我從燈邊走開,緩緩地靠近陽臺。

小さな月のある晩だった。それは雲のかかった山だの、丘だの、森などの輪廓をかすかにそれと見分けさせているきりだった。そしてその他の部分は殆どすべて鈍い青味を帯びた闇の中に溶け入っていた。

今夜弦月如鉤,只能模糊地判定出披著白雪的山嶽、丘陵、森林的輪廓。而其餘的景物,則幾乎都融入了帶著朦朦藍色的黑暗之中。

しかし私の見ていたものはそれ等のものではなかった。私は、いつかの初夏の夕暮に二人で切ないほどな同情をもって、そのまま私達の幸福を最後まで持って行けそうな気がしながら眺め合っていた、まだその何物も消え失せていない思い出の中の、それ等の山や丘や森などをまざまざと心に蘇らせていたのだった。そして私達自身までがその一部になり切ってしまっていたようなそういう一瞬時の風景を、こんな具合にこれまでも何遍となく蘇らせたので、それ等のものもいつのまにか私達の存在の一部分になり、そしてもはや季節と共に変化してゆくそれ等のものの、現在の姿が時とすると私達には殆ど見えないものになってしまう位であった。……

但是,我不是在看它們。我只是在心中歷歷地找回,那些曾經在一個初夏的黃昏,兩個人帶著深切的同情,把我們的幸福永遠不變地進行到底時的、現在還一個不少地印在記憶中的山嶽、丘陵和森林。迄今為止,我們已經無數次地重溫了那些瞬間的畫面——就連我們也徹底變成了其中一部分。那些畫面,已在不知不覺中,成為我們存在的一部分。甚至有時我們幾乎看不到,它們現在已經一起隨季節的變化,變幻了身姿。……

「あのような幸福な瞬間をおれ達が持てたということは、それだけでももうおれ達がこうして共に生きるのに値したのであろうか?」と私は自分自身に問いかけていた。
我質問的自己:“我們能夠擁有那麼幸福的瞬間,僅此就已經值得我們如此地共同生活了嗎?”

私の背後にふと軽い足音がした。それは節子にちがいなかった。が、私はふり向こうともせずに、そのままじっとしていた。彼女もまた何も言わずに、私から少し離れたまま立っていた。しかし、私はその息づかいが感ぜられるほど彼女を近ぢかと感じていた。ときおり冷たい風がバルコンの上をなんの音も立てずに掠め過ぎた。何処か遠くの方で枯木が音を引きむしられていた。
 在我的身後響起了輕輕的腳步聲,那一定是節子。可是,我不想回頭,依舊一動不動。她什麼也沒說,站在離我不遠的地方。但是,我感覺她離我很近,近得幾乎可以感受到她的呼吸。冷風時而無聲地從陽臺上掠過。遠方某處的枯木被風吹得沙沙作響。

「何を考えているの?」とうとう彼女が口を切った。
“在想什麼?”她終於開口了。

私はそれにはすぐ返事をしないでいた。それから急に彼女の方へふり向いて、不確かなように笑いながら、「お前には分っているだろう?」と問い返した。
我沒有馬上回答她的問題,而是突然回身轉向她,敷衍地笑著反問說:“你是不是已經知道?”

 彼女は何か罠でも恐れるかのように注意深く私を見た。それを見て、私は、
她好像害怕有什麼圈套一樣,小心翼翼地看著我。

「おれの仕事のことを考えているのじゃないか」とゆっくり言い出した。「おれにはどうしても好い結末が思い浮ばないのだ。おれはおれ達が無駄に生きていたようにはそれを終らせたくはないのだ。どうだ、一つお前もそれをおれと一しょに考えてくれないか?」
“還不是在考慮我工作的事?”看到她這樣,我緩緩地說道。“我呀,到現在還想不到一個好的結局。我不想以我們碌碌無為地活著作為結局。怎麼樣?你也和我一起琢磨一個結局好嗎?”

彼女は私に微笑んで見せた。しかし、その微笑みはどこかまだ不安そうであった。
她對我露出了微笑,但她的微笑中似乎還有著某種不安。

「だってどんな事をお書きになったんだかも知らないじゃないの」彼女は漸っと小声で言った。
“可是,人家還不知道你寫了什麼呢!”她終於小聲地說。

「そうだっけなあ」と私はもう一度不確かなように笑いながら言った。「それじゃあ、そのうちに一つお前にも読んで聞かせるかな。しかしまだ、最初の方だって人に読んで聞かせるほど纏まっちゃいないんだからね」
“是啊。”我再次敷衍的笑著說。“那過幾天就給你讀一遍吧,只是,這是初稿,還沒有整理到可以讀給別人聽的程度呢。”

私達は部屋の中へ戻った。私が再び明りの側に腰を下ろして、其処にほうり出してあるノオトをもう一度手に取り上げて見ていると、彼女はそんな私の背後に立ったまま、私の肩にそっと手をかけながら、それを肩越しに覗き込むようにしていた。私はいきなりふり向いて、「お前はもう寝た方がいいぜ」と乾いた声で言った。
我們回到了房間裡。我再次在電燈旁坐下,再一次把扔在那裡的筆記本,拿在手裡看。她就站在我的背後,輕輕地把手搭在我的肩頭上,從我的肩膀上偷看。我回過頭來,用乾巴巴的聲音說:“你該去睡覺啦。”

「ええ」彼女は素直に返事をして、私の肩から手を少しためらいながら放すと、ベッドに戻って行った。
“嗯。”她順從地應答我,猶豫了一下並把手從我的肩上放開,回到床上。
「なんだか寝られそうもないわ」二三分すると彼女がベッドの中で独り言のように言った。
“怎麼搞的?我一點也睡不著啊!”過了幾分鐘,她在床上自言自語地說。
「じゃ、明りを消してやろうか?……おれはもういいのだ」そう言いながら、私は明りを消して立ち上ると、彼女の枕もとに近づいた。そうしてベッドの縁に腰をかけながら、彼女の手を取った。私達はしばらくそうしたまま、暗の中に黙り合っていた。
“哦,那我就把燈給你關了吧?我也差不多了。”這樣說著,我關了燈,站起來走近她的枕邊。然後,坐在床邊,抓起她的手。我們就這樣在黑暗中,誰都沒有說話。

さっきより風がだいぶ強くなったと見える。それはあちこちの森から絶えず音を引き・いでいた。そしてときどきそれをサナトリウムの建物にぶっつけ、どこかの窓をばたばた鳴らしながら、一番最後に私達の部屋の窓を少しきしらせた。それに怯えでもしているかのように、彼女はいつまでも私の手をはなさないでいた。そうして目をつぶったまま、自分の裡の何かの作用に一心になろうとしているように見えた。そのうちにその手が少し緩んできた。彼女は寝入ったふりをし出したらしかった。
風似乎比剛才更強了,不斷地在四周的森林裡發出聲響。而且時而吹到了療養院的建築物上,把不知道哪裡的窗子吹得啪啪作響。最後,那風也讓我們房間的窗子發出“咯吱咯吱”的聲響。她一直抓住我的手不放,仿佛害怕了這聲響一般。而且,她閉著眼睛,似乎要專注於身體裡的某種功能。漸漸地,她的手鬆開了。看樣子,她似乎已經睡熟了。

「さあ、今度はおれの番か……」そんなことを呟きながら、私も彼女と同じように寝られそうもない自分を寝つかせに、自分の真っ暗な部屋の中へはいって行った。
“好了,這回該輪到我了。”我這樣自言自語地說著,為了讓這個和她一樣一點也睡不著的自己睡下,我走進了自己那漆黑的地方。


十一月二十六日

この頃、私はよく夜の明けかかる時分に目を覚ます。そんなときは、私は屡々そっと起き上って、病人の寝顔をしげしげと見つめている。ベッドの縁や壜などはだんだん黄ばみかけて来ているのに、彼女の顔だけがいつまでも蒼白い。「可哀そうな奴だなあ」それが私の口癖にでもなったかのように自分でも知らずにそう言っているようなこともある。
這些日子,我常常在天快亮的時候醒來。這時候,我往往悄悄地起床,一動不動的凝視著節子的睡容。床邊和花瓶都已經漸漸地變黃,只有她的臉永遠蒼白。“真是太可憐了。”這句話好像已經成了我的口頭禪,有時候自己說了還不知道。

けさも明け方近くに目を覚ました私は、長い間そんな病人の寝顔を見つめてから、爪先き立って部屋を抜け出し、サナトリウムの裏の、裸過ぎる位に枯れ切った林の中へはいって行った。もうどの木にも死んだ葉が二つ三つ残って、それが風に抗っているきりだった。私がその空虚な林を出はずれた頃には、八ヶ岳の山頂を離れたばかりの日が、南から西にかけて立ち並んでいる山々の上に低く垂れたまま動こうともしないでいる雲の塊りを、見るまに赤あかと赫かせはじめていた。が、そういう曙の光も地上にはまだなかなか届きそうになかった。それらの山々の間に挟まれている冬枯れた森や畑や荒地は、今、すべてのものから全く打ち棄てられてでもいるような様子を見せていた。

今天早晨,我又在黎明時分醒來。注視了很久節子的睡容。然後我踮著腳尖走出去,走進療養院後面枯得非常徹底的近乎全裸的森林。每一棵樹,都已只剩下兩三片死去的葉子,在抵抗著寒風。當我走出那片空虛的林子時,太陽剛剛離開八嶽山頂,把自南向西低垂在比肩而立的群山之上、毫無去意的雲團,轉眼間染得鮮紅。但是。這曙光還遠遠沒有照到地面。現在,被夾在群山之間的那些凍枯了的森林、田野、荒地,仿佛被整個世界全部拋棄。

私はその枯木林のはずれに、ときどき立ち止まっては寒さに思わず足踏みしながら、そこいらを歩き廻っていた。そうして何を考えていたのだか自分でも思い出せないような考えをとつおいつしていた私は、そのうち不意に頭を上げて、空がいつのまにか赫きを失った暗い雲にすっかり鎖されているのを認めた。私はそれに気がつくと、ついさっきまでそれをあんなにも美しく焼いていた曙の光が地上に届くのをそれまで心待ちにしてでもいたかのように、急になんだか詰まらなそうな恰好をして、足早にサナトリウムに引返して行った。
我在枯樹林邊徘徊,時而停下來,冷得下意識地跺著腳。就這樣,思緒混亂,自己都不知道到底在想什麼。不經意間我抬起頭,看到天空,已經在不知不覺中被失去紅色的黑雲完全覆蓋。看到天色如此,我忽然感到掃興,心裡一直等待著那映著美麗彩霞的曙光降落大地,如今都落空了。我匆匆忙忙地回到了療養院。

節子はもう目を覚ましていた。しかし立ち戻った私を認めても、私の方へは物憂げにちらっと目を上げたきりだった。そしてさっき寝ていたときよりも一層蒼いような顔色をしていた。私が枕もとに近づいて、髪をいじりながら額に接吻しようとすると、彼女は弱々しく首を振った。私はなんにも訊かずに、悲しそうに彼女を見ていた。が、彼女はそんな私をと云うよりも、寧ろ、そんな私の悲しみを見まいとするかのように、ぼんやりした目つきで空を見入っていた。
節子已經醒了。但是看到我回來,也就是用憂鬱的眼神朝我看了一眼。她的臉色,比睡著的時候更加蒼白。我走近她的枕邊,一邊撫玩著她的頭髮,一邊想去吻她的額頭。她輕輕地搖頭,我一句話也沒有說,只是悲傷地看著她。但是她用漠然的眼神看著上方,似乎不是不想看到這樣的我,而是不想看到我這樣的悲傷。


何も知らずにいたのは私だけだったのだ。午前の診察の済んだ後で、私は看護婦長に廊下へ呼び出された。そして私ははじめて節子がけさ私の知らない間に少量の喀血をしたことを聞かされた。彼女は私にはそれを黙っていたのだ。喀血は危険と言う程度ではないが、用心のためにしばらく附添看護婦をつけて置くようにと、院長が言い付けて行ったというのだ。――私はそれに同意するほかはなかった。
原來唯一被蒙在鼓裡的就是我。上午的檢查結束,護士長把我叫出來到走廊。我第一次聽到這樣的事:節子在今天早晨咳血,雖然咳出的血不多。她對我隱瞞了這事。院長說,咳血雖然說不上是危險,但以防萬一,還是要安排一名隨同護士。說完,就走了。——對此,我只能唯唯諾諾地同意著。

 私は丁度空いている隣りの病室に、その間だけ引き移っていることにした。私はいま、二人で住んでいた部屋に何処から何処まで似た、それでいて全然見知らないような感じのする部屋の中に、一人ぼっちで、この日記をつけている。こうして私が数時間前から坐っているのに、どうもまだこの部屋は空虚のようだ。此処にはまるで誰もいないかのように、明りさえも冷たく光っている。
這期間,我決定搬到正好空著的隔壁病房去。這是個處處都像極了那個我們兩個人一起住的房間。然而,又是那麼陌生的一個地方。我此刻,就在這裡一個人孤零零地寫著日記。就這樣,雖然我已經坐了幾個小時,但這個房間仍然有令人空虛的感覺。在這裡,連燈光也是冷冷的,仿佛根本就沒有任何人存在一樣。

十一月二十八日

私は殆ど出来上っている仕事のノオトを、机の上に、少しも手をつけようとはせずに、ほうり出したままにして置いてある。それを仕上げるためにも、しばらく別々に暮らした方がいいのだと云うことを病人には云い含めて置いたのだ。
我把即將完成的工作筆記,扔在桌子上便再也不想沾了。放在那裡,也是為了向節子說明我曾說過的話,為了完成它,我們分開住一段時間會好一些。

 が、どうしてそれに描いたような私達のあんなに幸福そうだった状態に、今のようなこんな不安な気持のまま、私一人ではいって行くことが出来ようか?
但是我一個人現在處在這種不安的心情之下,又怎麼樣能夠達到筆記中,我們所描述的那種幸福狀態呢?

私は毎日、二三時間隔きぐらいに、隣りの病室に行き、病人の枕もとにしばらく坐っている。しかし病人に喋舌らせることは一番好くないので、殆んどものを言わずにいることが多い。看護婦のいない時にも、二人で黙って手を取り合って、お互になるたけ目も合わせないようにしている。
我每天隔兩三個小時就到隔壁病房,在節子的枕邊坐一會兒。但是在這個時候,節子被命令忌說話,所以我們往往是一言不發。即使在護士不在的時候,兩個人也是手拉著手,儘量避免對視。
が、どうかして私達がふいと目を見合わせるようなことがあると、彼女はまるで私達の最初の日々に見せたような、一寸気まりの悪そうな微笑み方を私にして見せる。が、すぐ目を反らせて、空を見ながら、そんな状態に置かれていることに少しも不平を見せずに、落着いて寝ている。彼女は一度私に仕事は捗っているのかと訊いた。私は首を振った。そのとき彼女は私を気の毒がるような見方をして見た。が、それきりもう私にそんなことは訊かなくなった。そして一日は、他の日に似て、まるで何事もないかのように物静かに過ぎる。
但當我們的目光相遇的時候,她就會對我露出略帶羞澀的微笑,宛如我們最初認識時的那種微笑。很快,她旋即移開視線,看著上方,對自己被弄成這樣毫無怨言的靜臥著。有一次她問我是否還繼續工作。我搖了搖頭。當時,她有些同情地看著我。之後,她便再也不問我那些事了。於是,那天也像其他日子一樣,什麼也沒有發生似的靜靜度過了。

そして彼女は私が代って彼女の父に手紙を出すことさえ拒んでいる。
此後,當我要求讓我替她給父親寫信,她都拒絕了。

夜、私は遅くまで何もしないで机に向ったまま、バルコンの上に落ちている明りの影が窓を離れるにつれてだんだん幽かになりながら、暗に四方から包まれているのを、あたかも自分の心の裡さながらのような気がしながら、ぼんやりと見入っている。ひょっとしたら病人もまだ寝つかれずに、私のことを考えているかも知れないと思いながら……
夜裡,我對著桌子,直到很晚都無所事事地漠然凝視著陽臺上落下的燈影,離視窗愈遠,則燈影愈暗,被黑夜從四面八方包裹起來,感覺就像自己的內心世界一樣。心裡想著:節子或許會因為想著我而枕席不安……

十二月一日

この頃になって、どうしたのか、私の明りを慕ってくる蛾がまた殖え出したようだ。
這陣子,不知何故,朝我燈光飛來的飛蛾又多了起來。

夜、そんな蛾がどこからともなく飛んで来て、閉め切った窓硝子にはげしくぶつかり、その打撃で自ら傷つきながら、なおも生を求めてやまないように、死に身になって硝子に孔をあけようと試みている。私がそれをうるさがって、明かりを消してベッドに入ってしまっても、まだしばらく物狂わしい羽搏きをしているが、次第にそれが衰え、ついに何処かにしがみついたきりになる。そんな翌朝、私はかならずその窓の下に、一枚の朽ち葉みたいになった蛾の死骸を見つける。

夜裡,那些不知從何而來的飛蛾,猛烈地撞擊著緊閉著的窗子玻璃。雖然這種打擊會傷害自己,但它們仍然求生不已地拼死想在玻璃上開出洞來。我對此感到厭惡,很快關燈上床。但那瘋狂的振翅仍然持續了很久才逐漸減弱。第二天早晨,我必定會在那窗子下發現一隻看似枯葉的飛蛾屍骸。

 今夜もそんな蛾が一匹、とうとう部屋の中へ飛び込んで来て、私の向っている明りのまわりをさっきから物狂わしくくるくると廻っている。やがてばさりと音を立てて私の紙の上に落ちる。そしていつまでもそのまま動かずにいる。それからまた自分の生きていることを漸っと思い出したように、急に飛び立つ。自分でももう何をしているのだか分らずにいるのだとしか見えない。やがてまた、私の紙の上にばさりと音を立てて落ちる。

今夜也有那麼一隻飛蛾,終於飛進屋裡,最初是瘋狂地繞住我面前的燈飛旋。過了一會,啪嗒一聲落在我的紙上。然後,便一動不動了。而後,就像終於想起自己還活著一樣,又突然飛起。它自己似乎也不知道到底在幹什麼。不久,又啪嗒一聲地落在我的紙上。

私は異様な怖れからその蛾を逐いのけようともしないで、かえってさも無関心そうに、自分の紙の上でそれが死ぬままにさせて置く。
我並未由於特別的恐懼而試圖趕走飛蛾,反而漠不關心地任它在自己的紙上死去。

十二月五日

夕方、私達は二人きりでいた。附添看護婦はいましがた食事に行った。冬の日は既に西方の山の背にはいりかけていた。そしてその傾いた日ざしが、だんだん底冷えのしだした部屋の中を急に明るくさせ出した。私は病人の枕もとで、ヒイタアに足を載せながら、手にした本の上に身を屈めていた。そのとき病人が不意に、
傍晚,只有我們兩個人。隨同的護士剛剛出去吃飯。冬天的太陽快要落入西山背後。斜射的陽光,也讓漸漸發冷的房間明亮起來。我在節子的枕邊,把腳放在暖氣上,拱著身子伏在手裡拿著的書上。這時,節子突然輕聲喊了起來:

「あら、お父様」とかすかに叫んだ。
“啊呀!爸爸!”

私は思わずぎくりとしながら彼女の方へ顔を上げた。私は彼女の目がいつになく赫いているのを認めた。――しかし私はさりげなさそうに、今の小さな叫びが耳にはいらなかったらしい様子をしながら、「いま何か言ったかい?」と訊いて見た。
我不僅吃驚地抬頭看她,看到她的眼睛發出異常的光芒。——但是我裝作若無其事,好像沒有聽到剛才到輕輕的喊聲的樣子。我問節子:“剛才你說什麼?”

彼女はしばらく返事をしないでいた。が、その目は一層赫き出しそうに見えた。
她許久沒有回答。但是,她的眼睛看上去更加的明亮。

「あの低い山の左の端に、すこうし日のあたった所があるでしょう?」彼女はやっと思い切ったようにベッドから手でその方をちょっと指して、それから何んだか言いにくそうな言葉を無理にそこから引出しでもするように、その指先きを今度は自分の口へあてがいながら、
“那座矮山的左邊,不是有一個像陽光一樣亮的光點麼?”終於,她勇敢地從床上用手指了指那個方向,然後用手把那指尖放在嘴裡,仿佛從中要硬拽出怎樣的難言之辭一樣。

「あそこにお父様の横顔にそっくりな影が、いま時分になると、いつも出来るのよ。……ほら、丁度いま出来ているのが分らない?」
“那個地方,有個影子,和父親的側臉一模一樣,到這時候總能出現……看吧,正好,他現在出來了。你看到嗎?”

その低い山が彼女の言っている山であるらしいのは、その指先きを辿りながら私にもすぐ分ったが、唯そこいらへんには斜めな日の光がくっきりと浮き立たせている山襞しか私には認められなかった。
順著她的指尖,我立即就明白了,她說的那座山,就是那座矮一點的山。只是,我能看到的,只是那夕陽光照下奪目的山體褶皺。

「もう消えて行くわ……ああ、まだ額のところだけ残っている……」
“已經開始消失了……啊,只剩下額頭了……”
そのとき漸っと私はその父の額らしい山襞を認めることが出来た。それは父のがっしりとした額を私にも思い出させた。
這時,我終於看到了,那片像她父親額頭的山體。
那也讓我想起了他父親那堅毅的額頭。

「こんな影にまで、こいつは心の裡で父を求めていたのだろうか? ああ、こいつはまだ全身で父を感じている、父を呼んでいる……」
“她心裡在追尋父親,甚至求諸於這種山影呢?啊,她還在全身心地感受著父親,呼喚著父親……”

が、一瞬間の後には、暗がその低い山をすっかり満たしてしまった。そしてすべての影は消えてしまった。
但是,黑暗轉眼之間就完全覆蓋那座山,所有的影子都消失了。

「お前、家へ帰りたいのだろう?」私はついと心に浮かんだ最初の言葉を思わずも口に出した。
“你想回家了嗎?”我終於不假思索地說出了最早浮現在心裡的話。

そのあとですぐ私は不安そうに節子の目を求めた。彼女は殆どすげないような目つきで私を見つめ返していたが、急にその目を反らせながら、
說完,我馬上不安地去看節子的眼神。她用近乎冷漠的眼光注視著我。她忽然移開視線,用沙啞的,若有若無的聲音說:

「ええ、なんだか帰りたくなっちゃったわ」と聞えるか聞えない位な、かすれた声で言った。
“是啊,不知道為什麼,我想回家了。”
私は脣を噛んだまま、目立たないようにベッドの側を離れて、窓ぎわの方へ歩み寄った。
我咬著嘴唇,悄悄地離開床邊,走近窗前。

私の背後で彼女が少し顫え声で言った。「御免なさいね。……だけど、いま一寸の間だけだわ。……こんな気持、じきに直るわ……」
在我身後,她用顫抖的聲音說:“對不起……只是,就是剛剛那麼一小會兒而已……這種心情,馬上就會變好的……”

私は窓のところに両手を組んだまま、言葉もなく立っていた。山々の麓にはもう暗が塊まっていた。しかし山頂にはまだ幽かに光が漂っていた。突然咽をしめつけられるような恐怖が私を襲ってきた。私はいきなり病人の方をふり向いた。彼女は両手で顔を押さえていた。急に何もかもが自分達から失われて行ってしまいそうな、不安な気持で一ぱいになりながら、私はベッドに駈けよって、その手を彼女の顔から無理に除けた。彼女は私に抗おうとしなかった。
我在窗前兩臂相抱,一言不發地站著。群山的山麓已是一片黑暗,只是山頂尚有微光漂浮。有一種喉嚨突然被扼住一般的恐懼,向我襲來。我猛地轉向節子。她用雙手捂著臉。突然間,有一種不安心情充溢著我的心頭,似乎在這一刻,一切都將從我們這裡失去。我奔向床前,把她的手從臉上的強行拉開,她並不想反抗我。

高いほどな額、もう静かな光さえ見せている目、引きしまった口もと、――何一ついつもと少しも変っていず、いつもよりかもっともっと犯し難いように私には思われた。……そうして私は何んでもないのにそんなに怯え切っている私自身を反って子供のように感ぜずにはいられなかった。私はそれから急に力が抜けてしまったようになって、がっくりと膝を突いて、ベッドの縁に顔を埋めた。そうしてそのままいつまでもぴったりとそれに顔を押しつけていた。病人の手が私の髪の毛を軽く撫でているのを感じ出しながら……
那高高的額頭,目光沉靜的雙眼,緊閉的嘴角——什麼都沒有變,比平時讓我感到更加不可侵犯。……而我只無端地感到自己懦弱得像個孩子。我像突然虛脫了一樣,一下子跪下,把臉埋在床邊。就這樣,一動不動的,把臉緊緊地貼著她。我感到,節子的手,在輕輕地撫摸著我的頭髮……

部屋の中までもう薄暗くなっていた。
房間裡,一切,都變得昏暗起來了。


死のかげの谷
(死亡之影的山谷)

一九三六年十二月一日 K…村にて
一九三六年十二月一日  K··村

殆ど三年半ぶりで見るこの村は、もうすっかり雪に埋まっていた。一週間ばかりも前から雪がふりつづいていて、けさ漸っとそれが歇んだのだそうだ。炊事の世話を頼んだ村の若い娘とその弟が、その男の子のらしい小さな橇に私の荷物を載せて、これからこの冬を其処で私の過ごそうという山小屋まで、引き上げて行ってくれた。その橇のあとに附いてゆきながら、途中で何度も私は滑りそうになった。それほどもう谷かげの雪はこちこちに凍みついてしまっていた。……
幾乎三年未見的村莊,已經被雪完全覆蓋起來。據說,從一個星期前開始,雪就下個不停,今天早晨終於漸漸停下來了。請來幫忙做飯的村裡年輕姑娘和她的弟弟,把我的行李裝在那個和小男孩十分相稱的小雪橇上。他們替我把東西拖上了山中小屋裡——我將在這屋子裡度過冬天。我尾隨著雪橇,途中數次幾乎滑倒。山谷陰面的雪,已經凍得相當堅硬了。……

私の借りた小屋は、その村からすこし北へはいった、或る小さな谷にあって、そこいらにも古くから外人たちの別荘があちこちに立っている、――なんでもそれらの別荘の一番はずれになっている筈だった。其処に夏を過ごしに来る外人たちがこの谷を称して幸福の谷と云っているとか。こんな人けの絶えた、淋しい谷の、一体どこが幸福の谷なのだろう、と私は今はどれもこれも雪に埋もれたまんま見棄てられているそう云う別荘を一つ一つ見過ごしながら、その谷を二人のあとから遅れがちに登って行くうちに、ふいとそれとは正反対の谷の名前さえ自分の口を衝いて出そうになった。私はそれを何かためらいでもするようにちょっと引っ込めかけたが、再び気を変えてとうとう口に出した。死のかげの谷。……そう、よっぽどそう云った方がこの谷には似合いそうだな、少くともこんな冬のさなか、こういうところで寂しい鰥暮らしをしようとしているおれにとっては。
我租的小屋就在那村稍北的一個小山谷。那裡很早就建了很多洋人別墅——小屋大概就在那些別墅的最外邊。據說,在那裡消夏的洋人們稱這個山谷為“幸福谷”。這種人跡罕至的寂寥山谷,到底有哪處可以稱得上是“幸福”呢?我走在山谷裡,逐個掃視著這些現在已經被雪掩埋著、被遺棄著的別墅,跟在兩個人後邊,不時被落下。不知不覺中,一個與之正好相反的山谷名字突然間幾乎脫口而出。我似乎有些遲疑地略微停頓了一下,但又改變了主意,我終於說了出來:死亡之影山谷……是的,這個稱謂,似乎於這個山谷而言更為貼切,至少對正要在這隆冬之中、在這裡度過孤寂的鰥居生活的我而言。……

――と、そんな事を考え考え、漸っと私の借りる一番最後の小屋の前まで辿り着いてみると、申しわけのように小さなヴェランダの附いた、その木皮葺きの小屋のまわりには、それを取囲んだ雪の上になんだか得体の知れない足跡が一ぱい残っている。姉娘がその締め切られた小屋の中へ先きにはいって雨戸などを明けている間、私はその小さな弟からこれは兎これは栗鼠、それからこれは雉子と、それらの異様な足跡を一々教えて貰っていた。
想到這些,我終於來到自己租的最外邊的小屋子前。小屋子帶著有名無實的陽臺,用樹皮鋪頂,四周的雪上遍佈著不知何物的足跡。姐姐先走進那鎖著的小屋裡,打開了防雨窗。其間,小弟弟指著那些奇怪的足跡,教我辨認——“這是兔子,那是松鼠,這是雉雞……”

 それから私は、半ば雪に埋もれたヴェランダに立って、周囲を眺めまわした。私達がいま上って来た谷陰は、そこから見下ろすと、いかにも恰好のよい小ぢんまりとした谷の一部分になっている。ああ、いましがた例の橇に乗って一人だけ先きに帰っていった、あの小さな弟の姿が、裸の木と木との間から見え隠れしている。その可哀らしい姿がとうとう下方の枯木林の中に消えてしまうまで見送りながら、一わたりその谷間を見畢った時分、どうやら小屋の中も片づいたらしいので、私ははじめてその中にはいって行った。壁まですっかり杉皮が張りつめられてあって、天井も何もない程の、思ったよりも粗末な作りだが、悪い感じではなかった。すぐ二階にも上って見たが、寝台から椅子と何から何まで二人分ある。丁度お前と私とのためのように。――そう云えば、本当にこう云ったような山小屋で、お前と差し向いの寂しさで暮らすことを、昔の私はどんなに夢見ていたことか!……
此後,我站在一半埋在雪裡的陽臺上眺望四周。從這裡俯視,我們剛才走過的山谷陰面,正是這形態漂亮、小巧玲瓏的山谷的一部分。
啊呀,小弟弟剛才一個人乘著那個雪橇先回去了,他的身影,在枯樹林中忽隱忽現。我目送著這可愛的身影,終於消失在下面的枯樹林中。環視一周那山谷,小屋也在此時似乎打掃完畢了。我這才走進屋裡。房屋的建造出乎意料的粗糙,牆壁也全部貼著杉樹皮,天棚上,幾乎什麼也沒有。但是,自我感覺良好。我馬上到二樓一看,從床位到椅子,所有的東西,都是雙人的,就像正好為你和我準備的一樣。——如此說來,我多麼夢想著,在這種真正的山間小屋裡,和你寂靜相向地生活著啊!……

夕方、食事の支度が出来ると、私はそのまますぐ村の娘を帰らせた。それから私は一人で煖炉の傍に大きな卓子を引き寄せて、その上で書きものから食事一切をすることに極めた。その時ひょいと頭の上に掛かっている暦がいまだに九月のままになっているのに気がついて、それを立ち上がって剥がすと、きょうの日附のところに印をつけて置いてから、さて、私は実に一年ぶりでこの手帳を開いた。
傍晚,準備好了飯食,我就立刻讓村裡的姑娘回去了。然後,我獨自將大桌子拉到暖爐旁,決定在那上面做從吃飯到寫作的所有事情。這時,忽然發現頭上的掛曆還是九月,便站起來把它撕掉,在今天的日期附近做記號,然後打開筆記本。其實,我已經有一年沒有打開過它了。

十二月二日

どこか北の方の山がしきりに吹雪いているらしい。きのうなどは手に取るように見えていた浅間山も、きょうはすっかり雪雲に掩われ、その奥でさかんに荒れていると見え、この山麓の村までその巻添えを食らって、ときどき日が明るく射しながら、ちらちらと絶えず雪が舞っている。どうかして不意にそんな雪の端が谷の上にかかりでもすると、その谷を隔てて、ずっと南に連った山々のあたりにはくっきりと青空が見えながら、谷全体が翳って、ひとしきり猛烈に吹雪く。と思うと、又ぱあっと日があたっている。……

北方的山區似乎常有暴風雪。昨天還看似觸手可及的淺間山,今天就完全被雪雲覆蓋,那裡邊天氣激變,牽連到了山麓之上,時而在日光照耀下飛雪不斷。偶爾那雪線忽然移至山谷上,整個山谷都陷入了陰霾中,一味是猛烈的暴風雪,忽然轉眼間又是豔陽高照。而山谷向南連綿不斷的群山處,一片晴空。……
そんな谷の絶えず変化する光景を窓のところに行ってちょっと眺めやっては、又すぐ煖炉の傍に戻って来たりして、そのせいでか、私はなんとなく落着かない気持で一日じゅうを過ごした。

我時而走到窗前,眺望那山谷的變幻不絕的景色;時而又急忙回到暖爐旁。或許就因為這樣,我的心緒不知道怎麼的,整天也不得安寧。

 昼頃、風呂敷包を背負った村の娘が足袋跣しで雪の中をやって来てくれた。手から顔まで霜焼けのしているような娘だが、素直そうで、それに無口なのが何よりも私には工合が好い。又きのうのように食事の用意だけさせて置いて、すぐに帰らせた。それから私はもう一日が終ってしまったかのように、煖炉の傍から離れないで、何もせずにぼんやりと、焚木がひとりでに起る風に煽られつつぱちぱちと音を立てながら燃えるのを見守っていた。
中午,村裡的姑娘,背著包裹,只穿了冬襪,從雪中趕來。姑娘從手到臉都凍得通紅。她們為人質樸,而且沉默寡言,最合我意。還是像昨天一樣,我只是讓她做好了炊事的準備,便馬上讓她回去了。而後,我一步也離不開暖爐,無所事事地呆望著,那柴木燃燒著,被自來風煽動著,發出劈劈啪啪的聲音,仿佛一天已經結束。

 そのまま夜になった。一人で冷めたい食事をすませてしまうと、私の気持もいくぶん落着いてきた。雪は大した事にならずに止んだようだが、そのかわり風が出はじめていた。火が少しでも衰えて音をしずめると、その隙々に、谷の外側でそんな風が枯木林から音を引き・いでいるらしいのが急に近ぢかと聞えて来たりした。
就這樣入了夜,我獨自吃完了冰冷的飯菜,情緒也沉靜了許多。似乎已經停雪了,應無大礙。風反倒開始發作了。每當爐火稍弱、聲音乍息的間隙,便會突然近近的聽到山谷外面風催枯林的聲響。

それから一時間ばかり後、私は馴れない火にすこし逆上せたようになって、外気にあたりに小屋を出た。そうしてしばらく真っ暗な戸外を歩き廻っていたが、やっと顔が冷え冷えとしてきたので、再び小屋にはいろうとしかけながら、その時はじめて中から洩れてくる明りで、いまもなお絶えず細かい雪が舞っているのに気がついた。私は小屋にはいると、すこし濡れた体を乾かしに、再び火の傍に寄って行った。が、そうやって又火にあたっているうちに、いつしか体を乾かしている事も忘れたようにぼんやりとして、自分の裡に或る追憶を蘇らせていた。
過了一個小時左右,我把火撥得更旺了一些,然後走出屋子換一換氣。隨即在漆黑的屋外轉了一會,漸漸地,臉凍得冷冰冰的,便思忖著等會再進屋。這時,借著屋裡透出的光亮,才知道細雪在飛舞,一直未休。我走進小屋,揩幹略微潮濕的身體,再次靠近火旁。再次烤火的時候,不知不覺中,茫茫然忘記了自己在烘乾自己身子,卻喚醒了自己深藏的回憶。

それは去年のいま頃、私達のいた山のサナトリウムのまわりに、丁度今夜のような雪の舞っている夜ふけのことだった。私は何度もそのサナトリウムの入口に立っては、電報で呼び寄せたお前の父の来るのを待ち切れなさそうにしていた。やっと真夜中近くになって父は着いた。しかしお前はそういう父をちらりと見ながら、脣のまわりにふと微笑ともつかないようなものを漂わせたきりだった。父は何も云わずにそんなお前の憔悴し切った顔をじっと見守っていた。そうしてはときおり私の方へいかにも不安そうな目を向けた。が、私はそれには気がつかないようなふりをして、唯、お前の方ばかりを見るともなしに見やっていた。そのうちに突然お前が何か口ごもったような気がしたので、私がお前の傍に寄ってゆくと、殆ど聞えるか聞えない位の小さな声で、「あなたの髪に雪がついているの……」とお前は私に向って云った。
那是去年的時候,我們所在的療養院周圍,恰好今也像夜那樣,雪花飛舞,紛紛揚揚。那天,你父親被電報叫來了。我一次又一次的站在療養院門前,焦急地等待著你父親的到來。終於,在接近子夜的時候,父親到了。但是你只是看了父親一眼,唇邊瞬間浮起難以辨認的微笑。父親一言不發,一動不動地凝望你那極度憔悴的臉,時而向我投來了不安的目光。而我則裝作沒有注意到他的目光,只是欲罷不能地注視著你。這時,突然感到你在輕聲說著什麼,我走近你身旁,你用幾乎聽不見的聲音輕輕對我說:“你頭髮上沾著雪花……”

――いま、こうやって一人きりで火の傍にうずくまりながら、ふいと蘇ったそんな思い出に誘われるようにして、私が何んの気なしに自分の手を頭髪に持っていって見ると、それはまだ濡れるともなく濡れていて、冷めたかった。私はそうやって見るまで、それには少しも気がつかずにいた。……
現在,我孤身一人坐在火旁,仿佛忽而喚醒的回憶誘使著一般,我下意識地把手抬向頭髮,頭髮還帶著幾分潮濕、冷冰冰的,而我在此之前,卻絲毫沒有察覺。……

十二月五日

この数日、云いようもないほどよい天気だ。朝のうちはヴェランダ一ぱいに日が射し込んでいて、風もなく、とても温かだ。けさなどはとうとうそのヴェランダに小さな卓や椅子を持ち出して、まだ一面に雪に埋もれた谷を前にしながら、朝食をはじめた位だ。本当にこうして一人っきりでいるのはなんだか勿体ないようだ、と思いながら朝食に向っているうち、ひょいとすぐ目の前の枯れた灌木の根もとへ目をやると、いつのまにか雉子が来ている。それも二羽、雪の中に餌をあさりながら、ごそごそと歩きまわっている……

這幾天,是難以形容的好天氣。早晨,陽光灑滿了陽臺,也沒有風,非常溫暖。我甚至把小桌椅都搬到了陽臺,面對著被雪覆蓋的山谷,我吃起了早飯。面對著飯食,我想:獨自一人呆在這裡,實在有點可惜。這時,不經意間,往眼前的枯灌木根看去,雉雞不知不覺地走來了。而且還是兩隻,一邊在雪中覓食,一邊沙沙作響地走來走去。……

「おい、来て御覧、雉子が来ているぞ」
“哎,看啊,雉雞來啦!”

私はあたかもお前が小屋の中に居でもするかのように想像して、声を低めてそう一人ごちながら、じっと息をつめてその雉子を見守っていた。お前がうっかり足音でも立てはしまいかと、それまで気づかいながら……
宛如你也在小屋中一般,我想像著,壓低聲音自言自語著,屏著呼吸,一動不動注視著雉雞。一邊擔心著你一不小心發出了腳步聲,把它們都嚇跑了……

その途端、どこかの小屋で、屋根の雪がどおっと谷じゅうに響きわたるような音を立てながら雪崩れ落ちた。私は思わずどきりとしながら、まるで自分の足もとからのように二羽の雉子が飛び立ってゆくのを呆気にとられて見ていた。そのとき殆ど同時に、私は自分のすぐ傍に立ったまま、お前がそういう時の癖で、何も言わずに、ただ大きく目を・りながら私をじっと見つめているのを、苦しいほどまざまざと感じた。
恰在這時,不知何處,小屋屋頂的積雪轟然崩落,發出響徹山谷的巨響。我不由得全身一顫,木然地看著兩隻雉雞飛也似的從自己腳底下跑了。幾乎與此同時,我真真切切的感覺到,你就在我身邊,像以往一樣,你只是睜大眼睛,靜靜地注視著我。

午後、私ははじめて谷の小屋を下りて、雪の中に埋まった村を一周りした。夏から秋にかけてしかこの村を知っていない私には、いま一様に雪をかぶっている森だの、道だの、釘づけになった小屋だのが、どれもこれも見覚えがありそうでいて、どうしてもその以前の姿を思い出されなかった。昔、私が好んで歩きまわった水車の道に沿って、いつか私の知らない間に、小さなカトリック教会さえ出来ていた。しかもその美しい素木造りの教会は、その雪をかぶった尖った屋根の下から、すでにもう黒ずみかけた壁板すらも見せていた。それが一層そのあたり一帯を私に何か見知らないように思わせ出した。それから私はよくお前と連れ立って歩いたことのある森の中へも、まだかなり深い雪を分けながらはいって行ってみた。やがて私は、どうやら見覚えのあるような気のする一本の樅の木を認め出した。が、漸っとそれに近づいてみたら、その樅の中からギャッと鋭い鳥の啼き声がした。私がその前に立ち止まると、一羽の、ついぞ見かけたこともないような、青味を帯びた鳥がちょっと愕いたように羽搏いて飛び立ったが、すぐ他の枝に移ったままかえって私に挑みでもするように、再びギャッ、ギャッと啼き立てた。私はその樅の木からさえ、心ならずも立ち去った。
下午,我第一次從山谷的小屋走下,在大雪覆蓋的村子裡走了一遭。我只是在夏秋之間到過這裡來,現在,那似曾相識的森林、道路、封門的小屋,都被大雪覆蓋著,我無論如何也想不起它們以前的模樣。我以前很喜歡在水車旁散散步,而今那裡不知何時起,新建了一座天主教堂。那是一座由很漂亮的實木建造而成的教堂,那尖屋頂上已經被雪覆蓋了,屋頂下顯露出黑色的牆體——這更使我對這一帶感到陌生。此後,我還趟著尚且很深的積雪,走進了森林看一看,那是我和你以前經常去的地方。不久,我發現了一棵似曾相識的樅樹。走近看時,樅樹叢中響起了尖銳的鳥鳴,我站在樹前,一隻從未見過的黑色鳥兒仿佛被驚動了似的,振翅飛走,轉到別的枝條上,轉而再次向我鳴叫,仿佛要向我挑戰一般。我無奈地離那棵樅樹而去。

十二月七日

集会堂の傍らの、冬枯れた林の中で、私は突然二声ばかり郭公の啼きつづけたのを聞いたような気がした。その啼き声はひどく遠くでしたようにも、又ひどく近くでしたようにも思われてそれが私をそこいらの枯藪の中だの、枯木の上だの、空ざまを見まわせさせたが、それっきりその啼き声は聞えなかった。
在教堂旁邊凍枯了的樹林裡,我似乎聽到了杜鵑連續兩聲的啼鳴。那啼鳴似乎極遠,又感覺極近。我看遍這一帶的枯草叢、枯樹、天空,但那聲音,我再也沒聽到了。

それは矢張りどうも自分の聞き違えだったように私にも思われて来た。が、それよりも先きに、そのあたりの枯藪だの、枯木だの、空だのは、すっかり夏の懐しい姿に立ち返って、私の裡に鮮かに蘇えり出した。……
我想是我聽錯了吧。而那一帶的草叢、枯樹、天空,卻在我心頭鮮活地復活了,仿佛回到了那個令人懷戀的夏日。……

けれども、そんな三年前の夏の、この村で私の持っていたすべての物が既に失われて、いまの自分に何一つ残ってはいない事を、私が本当に知ったのもそれと一しょだった。
但是,三年前的那個夏天,在這個村子裡,我所擁有的一切都已失去,沒有一個留給如今的我。對此,我心裡還是明瞭的。

十二月十日

この数日、どういうものか、お前がちっとも生き生きと私に蘇って来ない。そうしてときどきこうして孤独でいるのが私には殆どたまらないように思われる。朝なんぞ、煖炉に一度組み立てた薪がなかなか燃えつかず、しまいに私は焦れったくなって、それを荒あらしく引っ掻きまわそうとする。そんなときだけ、ふいと自分の傍らに気づかわしそうにしているお前を感じる。――私はそれから漸っと気を取りなおして、その薪をあらたに組み変える。
這幾天,不知為何,你的音容笑貌再也沒有在我心頭完美重現。於是,這種難以忍受的孤獨時時困擾著我。早晨,暖爐裡一時搭起的柴木總是點不著,最後我焦躁起來,想要把它們拽散打亂。只有在這種時候,才忽然感到你關心地站在我身邊。——然後,我終於把心境平靜下來,重新把柴木擺放好。

又午後など、すこし村でも歩いて来ようと思って、谷を下りてゆくと、この頃は雪解けがしている故、道がとても悪く、すぐ靴が泥で重くなり、歩きにくくてしようがないので、大抵途中から引っ返して来てしまう。そうしてまだ雪の凍みついている、谷までさしかかると、思わずほっとしながら、しかしこん度はこれから自分の小屋までずっと息の切れるような上り道になる。そこで私はともすれば滅入りそうな自分の心を引き立てようとして、「たといわれ死のかげの谷を歩むとも禍害をおそれじ、なんじ我とともに在せばなり……」とそんなうろ覚えに覚えている詩篇の文句なんぞまで思い出して自分自身に云ってきかせるが、そんな文句も私にはただ空虚に感ぜられるばかりだった。
下午,我想到村子裡走走,於是便走下了山谷。結果,由於這陣子冰雪融化,道路變得舉步維艱,鞋子因為沾了泥土而重量驟增,路越來越難走。所以,我往往是無可奈何地中途折返。走到冰雪未溶的山谷時,不由得舒了一口氣。可是,小屋前那條令人幾乎喘不過氣來的上坡路,讓我望而卻步。因此,我竭力想鼓舞自己這動輒灰暗的心情,甚至想出了記憶中模模糊糊的詩句,念給自己聽——“縱越過死谷,亦不懼其禍,因你我同在……”。但是,這些詩句對我而言,也只能給我空虛。

十二月十二日

夕方、水車の道に沿った例の小さな教会の前を私が通りかかると、そこの小使らしい男が雪泥の上に丹念に石炭殻を撒いていた。私はその男の傍に行って、冬でもずっとこの教会は開いているのですか、と何んという事もなしに訊いてみた。
傍晚,我走過那個水車路邊的小教堂,看到一個傭工模樣的男人認真地往雪地上撒煤灰。我走到那人身邊,隨口問道:“這教堂冬天也一直開放嗎?”

「今年はもう二三日うちに締めますそうで――」とその小使はちょっと石炭殻を撒く手を休めながら答えた。
“聽說,今年再過兩三天就要關門了——”那傭工略微停下了撒煤灰的手,回答道。
「去年はずっと冬じゅう開いておりましたが、今年は神父様が松本の方へお出になりますので……」
“去年整個冬天都是開放的。但今年神父先生要去松本那邊,所以……”
「そんな冬でもこの村に信者はあるんですか?」と私は無躾けに訊いた。
“這麼冷的天,這村子裡還會有信徒嗎?”我冒冒失失地問。
「殆どいらっしゃいませんが。……大抵、神父様お一人で毎日のお弥撒をなさいます」
“幾乎沒人入會……基本上每天就是神父先生一個人在做彌撒。”

私達がそんな立ち話をし出しているところへ、丁度外出先からその独逸人だとかいう神父が帰って来た。こん度は私がその日本語をまだ充分理解しない、しかし人なつこそうな神父に掴まって、何かと訊かれる番になった。そうしてしまいには何か聞き違えでもしたらしく、明日の日曜の弥撒には是非来い、と私はしきりに勧められた。
就在我們站著聊天時,那個似乎是德國人的神父恰好回來了。這回,神父向我走來,問長問短的,儘管他日語講得不好,但待人親切。最後,不知道是不是他誤解了我的話,他一個勁地勸我:明天星期日的彌撒務必過來。

十二月十三日、日曜日 
十二月十三日,星期日

朝の九時頃、私は何を求めるでもなしにその教会へ行った。小さな蝋燭の火のともった祭壇の前で、もう神父が一人の助祭と共に弥撒をはじめていた。信者でもなんでもない私は、どうして好いか分からず、唯、音を立てないようにして、一番後ろの方にあった藁で出来た椅子にそのままそっと腰を下ろした。が、やっと内のうす暗さに目が馴れてくると、それまで誰もいないものとばかり思っていた信者席の、一番前列の、柱のかげに一人黒ずくめのなりをした中年の婦人がうずくまっているのが目に入ってきた。そうしてその婦人がさっきからずっと跪ずき続けているらしいのに気がつくと、私は急にその会堂のなかのいかにも寒々としているのを身にしみて感じた。……

早晨九點,我並無所求地去到教堂,在燃點著小蠟燭的祭壇前,神父已經和一名助手開始了彌撒。我既不是信徒,也不是什麼特別的人物,不知如何是好,只好悄然無聲老老實實地坐在最後邊稻草編的椅子上。當我適應了教堂裡面的昏暗環境後,才看見了一個全身一襲黑裝的中年婦人,蹲在了信徒席最前排柱子的陰影下——我還以為那裡一直沒有人。而當我意識到那個婦人似乎從剛才就一直跪著的時候,突然感覺到教堂裡寒氣凜凜,直徹肌骨……

それからも小一時間ばかり弥撒は続いていた。その終りかける頃、その婦人がふいと半巾を取りだして顔にあてがったのを私は認めた。しかしそれは何んのためだか、私には分からなかった。そのうちに漸っと弥撒が済んだらしく、神父は信者席の方へは振り向かずに、そのまま脇にあった小室の中へ一度引っ込んで行った。その婦人はなおもまだじっと身動きもせずにいた。が、その間に、私だけはそっと教会から抜け出した。
彌撒進行了一個鐘頭。臨近結束的時候,我看見那婦人忽然拿出手帕掩住臉。而究竟為何,我不知道。不知不覺,彌撒似乎已經完了。神父沒有回頭看信徒席,逕自鑽進旁邊的一個小房間裡。那婦人仍然原地,紋絲不動。而我趁機獨自悄悄離開教堂。

それはうす曇った日だった。私はそれから雪解けのした村の中を、いつまでも何か充たされないような気持で、あてもなくさ迷っていた。昔、お前とよく絵を描きにいった、真ん中に一本の白樺のくっきりと立った原へも行ってみて、まだその根もとだけ雪の残っている白樺の木に懐しそうに手をかけながら、その指先きが凍えそうになるまで、立っていた。しかし、私にはその頃のお前の姿さえ殆ど蘇って来なかった。……とうとう私は其処も立ち去って、何んともいうにいわれぬ寂しい思いで、枯木の間を抜けながら、一気に谷を昇って、小屋に戻って来た。
這一天,薄雲滿天。此後,我便漫無目的地盤桓在雪已消融的村中,心裡總覺得空蕩蕩的。我還去了那個過去經常和你一起畫畫、正中還醒目地立著一株白樺的草原。白樺樹只有樹根部分還有殘雪。我懷戀地用手扶著樹幹,這麼一直站著,直到指尖快要被凍僵。但是,你當日的倩影,卻已不在我眼前重現了。……終於,我也離那裡而去,帶著難以名狀的孤寂,穿過枯樹林,一口氣爬上山谷,回到了小屋。

そうしてはあはあと息を切らしながら、思わずヴェランダの床板に腰を下ろしていると、そのとき不意とそんなむしゃくしゃした私に寄り添ってくるお前が感じられた。が、私はそれにも知らん顔をして、ぼんやりと頬杖をついていた。その癖、そういうお前をこれまでになく生き生きと――まるでお前の手が私の肩にさわっていはしまいかと思われる位、生き生きと感じながら……
就這樣呼呼地喘息著,不由自主地坐在陽臺的地板上。就在這時,我感到了你正向著如此狼狽不堪的我靠近。但是,我裝著若無其事的樣子,茫然地捂住兩腮。儘管如此,我卻從來未有地、活生生地感受到了你——宛如你的手,正在撫弄我的肩頭……

「もうお食事の支度が出来ておりますが――」
“您的飯準備好了——”

小屋の中から、もうさっきから私の帰りを待っていたらしい村の娘が、そう私を食事に呼んだ。私はふっと現に返りながら、このままもう少しそっとして置いてくれたら好かりそうなものを、といつになく浮かない顔つきをして小屋の中にはいって行った。そうして娘には一言も口をきかずに、いつものような一人きりの食事に向った。
村裡的姑娘似乎久候我多時了,從小屋裡叫我去吃飯。我猛然回到現實中,給我再靜一下不行麼?我帶著平時沒有的慍色,走進了小屋。我一言不發,坐在了和往常一樣一個人的飯席上。

夕方近く、私はなんだかまだ苛ら苛らしたような気分のままその娘を帰してしまったが、それから暫らくするとその事をいくぶん後悔し出しながら、再びなんと云う事もなしにヴェランダに出て行った。そうしてまたさっきのように(しかしこん度はお前なしに……)ぼんやりとまだ大ぶ雪の残っている谷間を見下ろしていると、ゆっくり枯木の間を抜け抜け誰だかその谷じゅうをと見こう見しながら、だんだんこっちの方へ登って来るのが認められた。何処へ来たのだろうと思いながら見続けていると、それは私の小屋を捜しているらしい神父だった。
將近傍晚,我莫名地感到怒不可遏,把姑娘趕了回去。過了一會,我感到有些後悔,又漫無目的地走到陽臺前。於是,又像剛才一樣,(可惜這次你卻不在……)呆呆地俯視著尚有大部分殘雪的山谷,我看到有個人慢慢地穿行於枯樹之間,一邊東張西望地掃視著整個山谷,一邊慢慢朝我那邊走來。我猜想著這人究竟是去哪的。我定睛一看,原來是神父,他在找我的小屋。

十二月十四日

 きのう夕方、神父と約束をしたので、私は教会へ訪ねて行った。あす教会を閉して、すぐ松本へ立つとか云う事で、神父は私と話をしながらも、ときどき荷拵えをしている小使のところへ何か云いつけに立って行ったりした。そうしてこの村で一人の信者を得ようとしているのに、いま此処を立ち去るのはいかにも残念だと繰り返し言っていた。私はすぐにきのう教会で見かけた、やはり独逸人らしい中年の婦人を思い浮べた。そうしてその婦人のことを神父に訊こうとしかけながら、その時ひょっくりこれはまた神父が何か思い違えて、私自身のことを言っているのではあるまいかと云う気もされ出した。……
昨天傍晚,我跟神父做了約定,於是我拜訪了教堂。因為明天教堂將要關門,神父馬上就要去松本了,所以神父在跟我講話的時候,也時不時囑咐著收拾行李的傭工。於是,在絮絮叨叨中,神父惋惜著,本來想在這村裡收個信徒,但現在就要離開這裡,極之遺憾。我馬上就想起了昨天在教堂看到的、那個似乎也是德國人的婦人。我便想找機會問問神父有關她的事情。但當時神父在詢問著有關我的事情,我便覺得這個問題不問也罷。……

そう妙にちぐはぐになった私達の会話は、それからはますます途絶えがちだった。そうして私達はいつか黙り合ったまま、熱過ぎるくらいの煖炉の傍で、窓硝子ごしに、小さな雲がちぎれちぎれになって飛ぶように過ぎる、風の強そうなしかし冬らしく明るい空を眺めていた。
此後,我們這般不協調的對話,越來越多地中斷了。結果,我們都不約而同地沉默下來。在燒得有些過熱的暖爐旁,透過玻璃窗,眺望著風很大但很晴朗的冬季天空中,一片片碎雲飛逝而過。

「こんな美しい空は、こういう風のある寒い日でなければ見られませんですね」神父がいかにも何気なさそうに口をきいた。
“如此之美的青空,恐非在這個寒風冬日裡不可見。”神父完全無意地開口說道。

「本当に、こういう風のある、寒い日でなければ……」と私は鸚鵡がえしに返事をしながら、神父のいま何気なく言ったその言葉だけは妙に私の心にも触れてくるのを感じていた……
“確實,不是這種有風的冷日子……”我鸚鵡學舌般應和著,覺得只有神父剛才地無心之言,著實觸動了我的心。

一時間ばかりそうやって神父のところにいてから、私が小屋に帰ってみると、小さな小包が届いていた。ずっと前から註文してあったリルケの「鎮魂歌」が二三冊の本と一しょに、いろんな附箋がつけられて、方々へ廻送されながら、やっとの事でいま私の許に届いたのだった。
這樣過了一個多小時,我從神父那裡回到小屋,看到有小包裹送來了。原來是在很早以前就訂購的里爾克(Rainer Maria Rilke,1875~1926,德國詩人)詩集《安魂曲》,還有其他的兩三本書,一起被貼上了許許多多的標籤,越陌度阡、輾轉各地才終於送到我這裡來。

十二月十七日

又雪になった。けさから殆ど小止みもなしに降りつづいている。そうして私の見ている間に目の前の谷は再び真っ白になった。こうやっていよいよ冬も深くなるのだ。きょうも一日中、私は煖炉の傍らで暮らしながら、ときどき思い出したように窓ぎわに行って雪の谷をうつけたように見やっては、又すぐに煖炉に戻って来て、リルケの「レクイエム」に向っていた。未だにお前を静かに死なせておこうとはせずに、お前を求めてやまなかった、自分の女々しい心に何か後悔に似たものをはげしく感じながら……

又下雪了。從今天早晨就幾乎不停地下著。於是,轉眼間,眼前的山谷便回歸到白茫茫的一片。就這樣,隆冬終於到來。今天,我又是一整天在暖爐旁度過,時而想起來就到窗前俯瞰雪景,然後馬上回到暖爐旁,讀里爾克的《安魂曲》。同時,對於我自己沒讓你靜靜死去、不斷去求你的軟弱心理,心裡仍然強烈地感到一種悔意。
……

私は死者達を持っている、そして彼等を立ち去るが儘にさせてあるが、
我任由死者們擁有與離去

彼等が噂とは似つかず、非常に確信的で、
他們迥異於謠言而又可信至極

死んでいる事にもすぐ慣れ、頗る快活であるらしいのに
儘管見慣死亡而極為快活

驚いている位だ。只お前——お前だけは帰って
但驚駭,只為你——只有你

来た。お前は私を掠め、まわりをさ迷い、何物かに
歸來,掠走我,將周遭惑迷

衝き当る、そしてそれがお前のために音を立てて、お前を裏切るのだ。
一聲撞擊,它為你而鳴,亦背叛你

おお、私が手間をかけて学んで得た物を
不要奪我所學,

私から取除けてくれるな。
因我費盡心機

正しいのは私で、お前が間違っているのだ、
是我對而你錯,

もしかお前が誰かの事物に郷愁を催しているのだったら。
倘若你的鄉愁因人催起

我々はその事物を 目の前にしていても、
即便我們正面對斯人斯事

それは此処に在るのではない。
斯人斯事亦並非在此

我々がそれを知覚すると同時に
在我們知覺斯人斯事之時

その事物を我々の存在から反映させているきりなのだ。
不過是因我們的存在而反映著斯人斯事

十二月十八日

漸く雪が歇んだので、私はこういう時だとばかり、まだ行ったことのない裏の林を、奥へ奥へとはいって行ってみた。ときどき何処かの木からどおっと音を立ててひとりでに崩れる雪の飛沫を浴びながら、私はさも面白そうに林から林へと抜けて行った。勿論、誰もまだ歩いた跡なんぞはなく、唯、ところどころに兎がそこいら中を跳ねまわったらしい跡が一めんに附いているきりだった。又、どうかすると雉子の足跡のようなものがすうっと道を横切っていた……

雪終於停了。我見機會難得,便走進尚未去過的背後的樹林,不斷向深處走去。冒著時不時從某棵樹上轟然落下的雪沫,我非常快活地在森林與森林間穿行。當然,那裡沒有任何人的足跡,只有到處留著野兔在這一帶跳過的片片腳印。另外,偶爾有雉雞腳印似的足跡輕快地橫穿過徑……

しかし何処まで行っても、その林は尽きず、それにまた雪雲らしいものがその林の上に拡がり出してきたので、私はそれ以上奥へはいることを断念して途中から引っ返して来た。が、どうも道を間違えたらしく、いつのまにか私は自分自身の足跡をも見失っていた。私はなんだか急に心細そうに雪を分けながら、それでも構わずにずんずん自分の小屋のありそうな方へ林を突切って来たが、そのうちにいつからともなく私は自分の背後に確かに自分のではない、もう一つの足音がするような気がし出していた。それはしかし殆どあるかないか位の足音だった……

但是,不管走到哪裡,林子都沒有盡頭。而且,又有雪雲在樹林上空展卷著。我因此斷了繼續再往裡面走的念頭,中途就折了回來。但是,我好像走錯了路。不知不覺地,我找不著自己的足跡了。我忽然心慌起來,分開積雪,不理三七二十一直奔到似乎是自己小屋方向的林子中來。而就在這個時候,我感覺從何時起,在我背後響起了一個的確不是我自己的、另類的腳步聲。但是,那腳步聲輕得幾乎聽不見……

私はそれを一度も振り向こうとはしないで、ずんずん林を下りて行った。そうして私は何か胸をしめつけられるような気持になりながら、きのう読み畢えたリルケの「レクイエム」の最後の数行が自分の口を衝いて出るがままに任せていた。

我一次也沒有想到回頭,飛快地奔下了樹林。於是,我帶著痛苦的心情,任由昨天剛讀完的里爾克《安魂曲》的最後幾行詩脫口而出。……

“ 
帰っていらっしゃるな。
勸君莫歸來,

そうしてもしお前に我慢できたら、
倘汝仍可忍

死者達の間に死んでお出。
勸君死于離人中,

死者にもたんと仕事はある。
離人有重任

けれども私に助力はしておくれ、
但請君助我,

お前の気を散らさない程度で、
倘汝未分神

屡々遠くのものが私に助力をしてくれるように——私の裡で。
有如遠去之人,屢屢助我以仁 —— 於我心神。 
                                                ”

十二月二十四日

夜、村の娘の家に招ばれて行って、寂しいクリスマスを送った。こんな冬は人けの絶えた山間の村だけれど、夏なんぞ外人達が沢山はいり込んでくるような土地柄ゆえ、普通の村人の家でもそんな真似事をして楽しむものと見える。

夜晚,我被邀去村裡的姑娘家,度過了寂寥的聖誕。雖然這種山村一到冬季便絕人跡,但由於夏天時洋人們大量湧入,把地方風情都帶了進村,使得村裡一般人家也模仿起洋人來,以此為樂事。

九時頃、私はその村から雪明りのした谷陰をひとりで帰って来た。そうして最後の枯木林に差しかかりながら、私はふとその道傍に雪をかぶって一塊りに塊っている枯藪の上に、何処からともなく、小さな光が幽かにぽつんと落ちているのに気がついた。こんなところにこんな光が、どうして射しているのだろうと訝りながら、そのどっか別荘の散らばった狭い谷じゅうを見まわしてみると、明りのついているのは、たった一軒、確かに私の小屋らしいのが、ずっとその谷の上方に認められるきりだった。……「おれはまあ、あんな谷の上に一人っきりで住んでいるのだなあ」と私は思いながら、その谷をゆっくりと登り出した。「そうしてこれまでは、おれの小屋の明りがこんな下の方の林の中にまで射し込んでいようなどとはちっとも気がつかずに。御覧……」と私は自分自身に向って言うように、「ほら、あっちにもこっちにも、殆どこの谷じゅうを掩うように、雪の上に点々と小さな光の散らばっているのは、どれもみんなおれの小屋の明りなのだからな。……」

九點鐘左右,我從村裡獨自走過山谷陰坡歸來,坡上還映著雪光。在穿過最後的枯樹林的時候,我忽然發現道旁一簇簇被雪覆蓋的枯草叢上,不知從何而來的微光正幽幽而下。我一邊驚訝於這種光從何而來,一邊環顧著這個狹小的、別墅遍佈的山谷,發現亮著燈的只有一戶人家。似乎這亮著光的房子,確是我的小屋,因為可以看出光來自於山谷的最上方……“原來就我一個住在那山的最上邊啊!”我想著,慢慢地爬上了山谷。“就這樣,到今天為止,我還不知道這小屋裡的燈光會一直射到這下邊的林子中去呢。你看……”我近乎喃喃自語地說道,“看這裡!還有那裡!那雪上的點點光,漫山遍野的,都是我的屋子裡的燈光啊!”……

漸っとその小屋まで登りつめると、私はそのままヴェランダに立って、一体この小屋の明りは谷のどの位を明るませているのか、もう一度見てみようとした。が、そうやって見ると、その明りは小屋のまわりにほんの僅かな光を投げているに過ぎなかった。そうしてその僅かな光も小屋を離れるにつれてだんだん幽かになりながら、谷間の雪明りとひとつになっていた。

終於來到小屋前。我隨即直接站在陽臺上,想再次確認這小屋的燈光到底能讓山谷能亮到什麼程度。從屋內看去,那燈光不過只在小屋周邊投下微光而已。而這微光隨著離小屋漸遠而漸幽暗,漸漸地與山谷中積雪映著的光融為一體了。

「なあんだ、あれほどたんとに見えていた光が、此処で見ると、たったこれっきりなのか」と私はなんだか気の抜けたように一人ごちながら、それでもまだぼんやりとその明りの影を見つめているうちに、ふとこんな考えが浮んで来た。

“什麼啊!看起來這麼強的光,怎麼從這裡看就這麼點兒啊?!”我有點洩氣地自言自語道。而儘管如此,在我漠然地注視著燈影的時候,忽然產生了這般想法:

「――だが、この明りの影の工合なんか、まるでおれの人生にそっくりじゃあないか。おれは、おれの人生のまわりの明るさなんぞ、たったこれっ許りだと思っているが、本当はこのおれの小屋の明りと同様に、おれの思っているよりかもっともっと沢山あるのだ。そうしてそいつ達がおれの意識なんぞ意識しないで、こうやって何気なくおれを生かして置いてくれているのかも知れないのだ……」

“但是,這燈影,不正像我的人生一樣嗎?我以為我的人生周邊的光就這麼幾許,但事實上就像這小屋的燈光一樣,比我認為的要多得多。也許就是這樣,他們才不去理解我的想法,就這麼毫不在乎地讓我活著……”

そんな思いがけない考えが、私をいつまでもその雪明りのしている寒いヴェランダの上に立たせていた。
這個出人意料的想法,讓我久久地佇立在那個雪光映照著的寒冷的陽臺上。



十二月三十日

本当に静かな晩だ。私は今夜もこんなかんがえがひとりでに心に浮んで来るがままにさせていた。
夜晚非常寂靜。今夜,我又獨自一人,任思緒湧上心頭。

「おれは人並以上に幸福でもなければ、又不幸でもないようだ。そんな幸福だとか何んだとか云うような事は、嘗つてはあれ程おれ達をやきもきさせていたっけが、もう今じゃあ忘れていようと思えばすっかり忘れていられる位だ。反ってそんなこの頃のおれの方が余っ程幸福の状態に近いのかも知れない。まあ、どっちかと云えば、この頃のおれの心は、それに似てそれよりは少し悲しそうなだけ、――そうかと云ってまんざら愉しげでないこともない。……こんな風におれがいかにも何気なさそうに生きていられるのも、それはおれがこうやって、なるたけ世間なんぞとは交じわらずに、たった一人で暮らしている所為かも知れないけれど、そんなことがこの意気地なしのおれに出来ていられるのは、本当にみんなお前のお蔭だ。それだのに、節子、おれはこれまで一度だっても、自分がこうして孤独で生きているのを、お前のためだなんぞとは思った事がない。それはどのみち自分一人のために好き勝手な事をしているのだとしか自分には思えない。或はひょっとしたら、それも矢っ張お前のためにはしているのだが、それがそのままでもって自分一人のためにしているように自分に思われる程、おれはおれには勿体ないほどのお前の愛に慣れ切ってしまっているのだろうか? それ程、お前はおれには何んにも求めずに、おれを愛していてくれたのだろうか?……」

“我沒有過人的幸福,也非不幸。那些所謂的幸福與不幸,曾令我們那樣的焦躁不安。或許,如今的我反過來卻非常近於幸福狀態。總之,不管怎麼說,如今我的心境,是近乎幸福而只是較之幸福略有傷悲而已。——雖說如此,但也不是完完全全的愉悅。……我之所以能夠這樣萬事不關心的活著,也許其中也有我只求獨自生活、不與世間往來的緣由,但是,對於我這種心智不強的人而言,能做出這些事情,實在都是你加護的結果。儘管如此,節子,我迄今為止一次也沒有想到,自己這樣孤獨地生活,就是為了你。我只認為,走那條路,是我為了自己一個人而走的,是那樣的隨心所欲。或者,也許那可能是為你而做的,但是,我是否已經徹底適應了,你對我而言受之可惜的愛,以至於我把它原封不動地拿了過來,把它當做為我自己一個人而做的呢?難道你就是這樣,毫無所求地給予了我愛?”

そんな事を考え続けているうちに、私はふと何か思い立ったように立ち上りながら、小屋のそとへ出て行った。そうしていつものようにヴェランダに立つと、丁度この谷と背中合せになっているかと思われるようなあたりでもって、風がしきりにざわめいているのが、非常に遠くからのように聞えて来る。それから私はそのままヴェランダに、あたかもそんな遠くでしている風の音をわざわざ聞きに出でもしたかのように、それに耳を傾けながら立ち続けていた。私の前方に横わっているこの谷のすべてのものは、最初のうちはただ雪明りにうっすらと明るんだまま一塊りになってしか見えずにいたが、そうやってしばらく私が見るともなく見ているうちに、それがだんだん目に慣れて来たのか、それとも私が知らず識らずに自分の記憶でもってそれを補い出していたのか、いつの間にか一つ一つの線や形を徐ろに浮き上がらせていた。それほど私にはその何もかもが親しくなっている、この人々の謂うところの幸福の谷――そう、なるほどこうやって住み慣れてしまえば、私だってそう人々と一しょになって呼んでも好いような気のする位だが、……此処だけは、谷の向う側はあんなにも風がざわめいているというのに、本当に静かだこと。まあ、ときおり私の小屋のすぐ裏の方で何かが小さな音を軋しらせているようだけれど、あれは恐らくそんな遠くからやっと届いた風のために枯れ切った木の枝と枝とが触れ合っているのだろう。又、どうかするとそんな風の余りらしいものが、私の足もとでも二つ三つの落葉を他の落葉の上にさらさらと弱い音を立てながら移している……。

不斷地想著這些,我忽然若有所思似的站起身來,走到小屋外。我像往常一樣站在陽臺上,眺望這山谷背面一帶。風在不斷地咆哮著,仿佛來自極遠極遠的地方。此後,我便繼續站在陽臺上,側耳傾聽,仿佛這遠方的風聲專為我而疾吹。橫在我前面的這個山谷中的一切,最初看去,不過是被積雪反照得微微發亮的一堆壘塊,而或許因為是我不經意間看了良久,它漸漸的也變得順眼,抑或是由於我在不知不覺間以自己的記憶對它作出了修補,它的線條與輪廓,一個一個地在不經意間緩緩浮現。它的一切都和我親近了起來,這個人們所謂的“幸福谷”——是的,我甚至感到,如果確實在這住得慣了,我也會跟大夥一起把這裡稱之為“幸福谷”的……但是,山谷的那邊,狂風是如此的淒厲,而只有這裡卻寂靜異常。噢,就在我小屋的背後,那些神秘的輕微響聲,恐怕就是那些枯樹的枝條兒,因為這艱難涉遠而來的風而相互地碰撞著吧。又或許,那是狂風之餘威,正在我的腳下發出微弱的餘響,將幾枚落葉瑟瑟地掃到其他落葉之上……

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